お知らせ

2021年06月23日

人の知性

現代では単語を憶えたり計算することを学習としています。
 
よってコンピューターに近い人間が知的だとの扱いになりなります。
 
倫理や道徳、人の在り方をテーマとした教育は昭和初期頃までだったのでしょうか。
 
私は高校生頃には学校の勉強のあまりのくだらなさに閉口し、人の道について説かれた書物を読み漁りました。
 
国内なら武士道、中国なら儒教とか論語等が入手できました。
日本にはどの分野でも知識人はいくらでもいますが、知的な人は滅多にいません。
 
教科書や参考書に記載されている単語ををどれだけ憶えたところで、機械に近付くだけで決して知的な人物にはなりません。
 
機械が最も苦手とするところは「どうして存在するのか、どのように生き、どのように死ぬか」を問われる事でしょう。
 
指示に従うだけで、生死について考えること自体を避けるようになっているのです。
 
近年では生産性を上げるための資源として存在してきた人間ですが、人工知能の登場で存在意義を急速に失いつつあります。
これからは否が応でも、この世には「AI」とは別に「人」が存在していることに直面させられます。
 
この世の人間が人らしい存在とならざるを得ない、時代の転換点ですね。
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