お知らせ

2019年 9月
2019年09月30日

ヒントはあの世にある

動物として生きることを選択した人は、この投稿を目にすることもないかと思われますので、本日は知的生命体に向けてのお話です。

 

重力とは何でしょう。今の地球上で物理的に存在していれば普通は必ず重力の影響を受けています。それがこの世のルールとなっているのです。星の運行から原子構造までこの世ではスピン(回転運動)が基本になっていて、そのことで軸というものがあって上・下・右回り・左周り等の方向というものが確立されます。

 

いわゆるUFO(他の星の宇宙船)でもこの世に出現する時はスピンをしています。地球人には一般化されていない認識ですが、普通の星の宇宙船とは機械ではなくて知的生命体。それでもこの世に出てくるのには回転が必要なのです。

 

地球上でもヒマラヤの聖者クラスになると宙を浮くように移動するのですが(イエスキリストが水の上を歩いたとの話は皆さんもご存知でしょう)この世に居ながらにして重力を制御できている証拠ですね。2万年前くらいは地球上でもそれが当たり前のテクノロジーとなっていて、ピラミッド建設等もできたわけです。

 

重力とは、体重をはじめとする重さを生じる現象というだけのことではなくて、この世をこの世たらしめている法則です。無重力では方向もないし、距離や時間も変わってきます。あの世の人が宙を浮いていたり壁をすり抜けたりする現象は、この世のルールではなくてあの世のルールに従っているだけ。

 

この世にもその技術を取り入れることができなければ、せいぜい月まで行って宇宙旅行とかホザいているレベル止まりなのです。そもそも月はスピンしていませんから、この世の自然物でもありませんしね。

今の人が「死」と呼んでタブー視しているその先に真実はあるのです。

2019年09月29日

同じ人間のようでも…

今日、友人と会話していて「神の定義」の話題になりました。

 神は霊魂よりも上の存在で個の人格がない?

日本には霊魂という言葉があるけれど、世界的には「神の怒り」「神のご褒美」的な、いかにも神が人格を持っていそうな表現があるのでは?

等々、それだけでも話題は尽きません。

 

私が提唱していることは、肉体を有する人間だって本来は非物質の生命体なのだから、肉体を有していない生命体を上の存在として崇めたりするのはおかしいのでは?ということです。
逆に言えば人も神たりえるのです。肉体生命維持だけに固執して生きているだけでは単なる動物ですが(笑)。

 

だからこそ、一見は似た生物「人間」であっても知的生命体なのか動物なのかによって大きな隔たりがあるのです!

2019年09月28日

価値判断

地球人はその時々で良い悪いを判断する習性があります。
よく「自分を受け容れる」との言葉を目にしますが、自分で悪いと思っている自分自身の部分を受け容れるなんて難しいでしょう。

 

ですからそれは「良い・悪い・の価値判断を手放す」ということです。平時に人殺しをして「いつ捕まるかもしれない」とコソコソしている人がいるとします。それこそ「自分が殺された方がまだ楽だった」ってな心境でしょう。でも戦時中には人殺しのために出兵をし、罪に問われるどころか大量殺戮貢献者には名誉勲章まで出たりするのです(笑)。地球人の良し悪しの基準なんてそんなもの。

 

他人の受け容れ難い部分とは、自分でも受け容れ難い自分自身の部分です。それが良いか悪いかは状況によって変わるのですから、そこにこだわっていても仕方がありません。時や立場が変わって
「それで、あの時はあのようにせざるを得なかったんだ」とわかることもあるでしょう。

 物事には良いも悪いもないのです。それはその時々の状況によって自分の都合で決め付けているだけのこと。
自分が死を迎えることは悪い事だと考えているから自分の死に抗うのです。ところが抗っていても楽しみにしていても肉体死は誰にでも確実に訪れる。
そこに勝手な意味付けをする必要はないのです。

2019年09月27日

なぜ動物よりも知的生命体なのか。

私が人間という存在のあり方を気に掛けていたのは中学生頃からです。教科書などには「人間だけが知的生命体である」とされているのに、周りの大人を見てもマヌケな動物だとしか思えなかったからです。

 

父は兄数人を戦争で亡くした末っ子でした。その反動から「天皇が神であるとか崇めて戦争に駆り出されて逝くなんて愚の骨頂!」そんな人生哲学を有していました。私が思春期になってから「人間とは何か?」と投げると、胸を張って「動物だ!」と答えていたくらいの唯物主義者でした。金儲けや出世に少しは興味があったみたいですが、神とか霊魂とか宗教臭い事を言うと決まって無視をしました。時代背景的にも多いタイプだったのだと思います。

 

ですから私は「人とは動物である」と捉えている人が多いという現実を知っています。

しかし動物では他の星との交流はできません。自分が生き延びることには真剣でも、自分以外の人が苦しもうと死のうと関係ないこと。それでは星全体のレベルは上げようがないのです。

 

人が知的生命体になるとは
そういった意味なのです。

2019年09月26日

領土争いは終わった。

選挙での若者の投票率が下がり続けているので「若者は政治に無関心すぎる」みたいな意見もあります。

 

ここ数千年、地球のこの世はほぼ陣取りゲームの会場でした。領土を拡げたい国王などが国民を虫けらのように扱って、勝っただの負けただのと自国の領土を広げるゲームをして遊んでいたのです。

核兵器が開発されて、そのゲームも終わってしまった感があります。相手を殺したくても自分は死にたくないのだから、ゲームのやりようがなくなってしまった(笑)。
ここ数千年、地球のこの世は流刑先も同然でした。そんな体験がしたい物好きなスピリットだけの注目スポットでした。

 

ところが、流刑先だったはずのその星が一大エンターテイメント会場となることを聞きつけたスピリットたちが地球物質界にこぞって出たがり大人気の星となっているのが今の状況。
だから国家とか国境とかの陣取りゲームに全く関心のない人が実際増えています。

 

これからは、惑星地球が宇宙の中でどんなポジションにつくのかがテーマです。最期の大量殺戮兵器が日本で使われ、その後も放射能をばら撒く実験会場に日本がなったということ。
終焉を迎える旧地球システムの日本代表とされるのが、旧地球を象徴する下劣な人物であるということも面白い現象です。

2019年09月25日

見える。見えない。

よく雲や太陽や月を撮影して投稿している人がいますよね。

私も広い所で雲を眺めたいがために小学校に朝早く登校していたくらい空を眺めるのが好きでした。車なら寒さを凌げるので、免許取りたての頃は深夜早朝に何時間も一人で星空を眺めに出掛けては警察に職務質問されていました(笑)。

 

物質ではなくて空間を眺めるという行為は、人によって見えたり見えなかったりするものもあります。UFOや幽霊はその典型です。

 

「幽霊ならわかるけどUFOも?」
そう思った人もいるでしょう。

何度も書きますが、生命体とは非物質が基本です。地球人の誰が見ても視覚認識できる宇宙船や宇宙人かいたとしたら、それはウンコをぶら下げて街を歩いている大人がいるのと同じくらい珍しいかマヌケかサービス精神旺盛(笑)といったところ。

 

ですから万人が「UFOをハッキリ見た」とか騒いでいたとしたら地球製だと思ってください。第二次大戦中にヒトラーが試作してから80年も経過しているのだから、地球製でも見えないものが既にあるのかもしれませんが、地球人がそれを使うとしても奪うか殺すかのためだけでしょう。

「宇宙人と宇宙船に同乗して……」というような出版物もありますが、それは幽霊話と同じでその人には認識できた話なのです。地球人はそのことを理解してないから何世紀も「いる・いない」レベルの論争をしていられるのです。

 

私が「人は非物質の知的生命体である」という事を強調しているのは、入り口で立ち往生している地球人類を奥へと導くためなのです。

2019年09月24日

人の対処

職場等に苦手な人がいて悩んだり鬱々としている人もいるでしょう。
今日はそんな対処法をお教えします。

 

イヤな人やダメな人を好きになれとは言いません。そういった人を相手にしなくてはならない場合は「自分にそのイヤな要素はないだろうか」「自分がそのダメな事をしてしまう可能性は有りはしないか」等、自己分析の材料としてしまえば良いのです。
特に親しくしなくてもそれくらいはできるでしょう。

 

この世では、あらゆるレベルの人と関わることができます。この世とは、似た者同士が自然と集まってしまうあの世では考えられない学びの宝庫なのです。

 

そう捉えることができれば、この世には気付きを与えてくれる感謝すべき人しかいなくなるのです。

2019年09月23日

未成年者の育成

高校時のある日、体育館で全生徒を集めて集会を開いたことがありました。教員の話のあまりのつまらなさに私が袖をまくったりしてモソモソしていると、とある若い男性教員が私の頭を凄く音が響くような叩き方をしました。それが格好イイとでも考えていたのでしょう。血の気が多くて空手をしていた私は反射的に飛び蹴りでも喰らわせて昇天させてやろうかとも思いましたが、踏み止まって黙していました。

 

後年になって思うと彼は、私が(おそらく他の誰だとしても)間違って従業員にでもしたのなら即クビにするような人でした。県立高校でしたから、そんな人でも子供相手なら偉そうにして地方公務員の職に就けていたのです。多感な子供の思春期に接する大人はせめて人間性が要でしょう。

 

カネ儲けのためなら接客態度にも厳しく従業員を調教しますが、カネを持っていない子供相手ならどうでもよいといった哲学でもあるのでしょうか。そもそも未成年者の相手とは柔軟性や忍耐性がなければまともに務まるはずもないのです。子供の育成を疎かにしていてはその地域の将来展望も暗くなってしまうということに、大人たちは気付いていないのでしょうか。

2019年09月23日

探究心

幼少時の思い出で印象深い事が誰にでもあるでしょう。

私は小学校に上がってすぐプラモデルというものの存在を知って何日も母に猛烈にねだり、小遣いをもらって喜び勇んで出掛けたことがありました。当時の500円札を「失くしてはいけないから」とボロいバスクリンの空き箱に入れて抱えて走って行ったのです。凄い勢いで腕を振っていたのでお店の近くで空き箱をどこかに投げ飛ばしてしまい、もう暗くなっていたので見つけることもできずに泣いて帰ったのでした。

 翌朝、1キロほど離れた自宅前の側溝を覗くとバスクリンの箱が流れてきました。途中に地下道もあるので店の近くからいわゆるドブを流れてくることは考えにくく、中身には湿った500円札が!
その頃の私には妖精という概念がまだなかったので「人の思いを察して働いてくれる何かが存在するのだな」と強く思ったのです。母の演出かとも思ったので確認したのですが、母もかなり不思議そうにしていました。

その後にも大人に話せばバカにされそうな経験を幾つか重ねたので「世の中には人では理解できない物事が沢山あるんだな」と幼心にも確信しました。

 

子供の頃に「大人でも理解できない事はいくらでもある」という事に気付けたことは、探究心の芽を摘まなくて済んだ大きな要因ですね。

 

2019年09月22日

日本に生まれたということ

私の使っているメールサーバーには毎日10件以上の英語の迷惑メールがきます。

人間以外を使っての自動送信が多いでしょうから対策のしようはあるのですが、地球人の営みを観察するのが面白くてわざと放置しています。もちろん開いたりはせず手動で削除します。

 

日本も振り込め詐欺のニュースで賑やかですが、地球人はどうしてこんなに騙し取ったりすることに熱心なのでしょう。

 

終戦後の日本でも、ドサクサに紛れて近所海外からの移民が家畜や物を盗んで売ることで計らずも活気を帯びたという事実があります。国民の人のよさにつけこんで一世紀近くも日本人から搾取し続けたのはいかがなものかとは思いますが(笑)。

 

地球のあらゆる民族は同じ大陸で勢力争いをしてきた歴史があるため、他民族の襲来から身を守って生き残ることが最大の課題でした。それで騙したり奪ったり殺したりという能力を磨いてきた者だけが生き残っているのです。だから人間の形状をしていても中身はほぼ動物。

 

それに対して日本は原則単一民族の島国。地理的条件の他にも鎖国政策を採ってきたことが手伝って撲滅される心配もなく、知的生命体らしい営みが可能な国でした。明治以前に日本にきた外国人は皆、自国と比べて日本庶民の文化的な平均レベルの高さに驚いたのです。明治以降は妙なところも国際化が進んでしまい、今では日本でも詐欺で生業を立てる人が存在するという有様。

 

それでも鍵をかけない家が地方では未だにあるし、日本の治安の良さは世界でもトップレベル。その日本に生まれたという事は、生き延びるためだけに生きている他の国の人々とは生まれてきた意味が異なるのだという事を自覚しましょう。

 

人とは知的生命体であるということを
地球中に知らしめる役目があるのです。

2019年09月21日

何を想うのか

想念が現実を創出するという話を書いたことろ、「ネガティヴなことを思って創出してしまう。どうしたらポジティヴな思いを実現できるのか?」のような質問を頂いたので、それに関する話です。

 

まず、何が「ポジティヴ」で何が「ネガティヴ」なのかは、時代や地域や状況によって異なります。ただ言える事は、「ポジティヴ」に意識を向けようとすると「ネガティヴの反対」と考えて結果「ネガティヴな何か」に意識を向けることとなってしまいます。そもそも宇宙には「ポジティヴ」も「ネガティヴ」もありません。

 

結論は、ポジ・ネガではなくて「興味が湧く事」「心ときめく事」に意識を向けて実践すれば良いだけのこと。
それこそ、それが何であるかは千差万別です。権力を有していて心が病んでいるとかでなければ、殺したり騙したり盗んだりに心ときめく人はいないでしょう(笑)。

 

ポイントは、今の世の中は発信者のカネ欲しさからテレビ・新聞・雑誌等で消費者の興味を惹かせる技法が氾濫しているということ。それに騙されて「私はこれに興味がある」「心がときめく」と思わされているだけではないのか?ということ。

 

だからこそ
瞑想等の内観が重要なのです。

2019年09月20日

病気の多くは想念の具現化

物質は想念によって創出される。今の地球物質次元でそれを行う人は魔術師的な扱いを受けてしまいますが、既に多くの誰もがそれを行っています。それが病気の具現化です。

 

特に「がん細胞」を増殖させて肉体死を呼び寄せている人が急増しています。

 

医療や製薬が一大産業になってからというもの、いかに需要を創出するのかが大きな課題です。早い話、「がん」を国民に意識させる機会を増やしてそれを継続できれば患者を量産できるのです。結果的に「がん」にまつわる商売をしている人たちが大勢潤っているのです。

 

昔は結婚式と葬式の双方を扱っていた業者が多かったのですが、近頃では結婚式を盛大に挙げる人が減っているため、人の死が貴重なビジネスチャンスとなっています。

 

誰でも、病気や肉体死を怖れることで継続的にそこに意識が向くため、具現化させる人も増えてくるわけです。

 

人の非物質的なパワーはこの地球でも既に充分活用されているのです。
変なところで!笑

2019年09月18日

審美眼 2

審美眼が重要だとは言っても、本質的に美しい生き方をしている人がそんなにはいないため「モデルとなる目指す人物像がない」ということが今の社会の最大の難点でしょう。

 

農業・漁業・林業などを営んでいる目立たない人の中には現在でも結構な比率で存在していますが、それを目指す若者は稀でしょう。都会であれば、ドロップアウトして浮浪者、もしくはそれ同然となっている人の中に醜い生き方を受け容れられなかった人も存在しますが、それを美しいと感じて自分が志す人はいません(笑)。

 人前に出るような立場の人が長年こぞって唯物主義であったことが暗い影を落としているのですね。

「人間とは…」とか言っている人は決まってマイナーな存在、もしくは宗教関連だったのは残念なこと。

 

これからは、旧地球ならば「科学的ではない」と不当に扱われていた人が地球人類を牽引する時代。
科学の概念そのものが刷新されるのですからね。

 

2019年09月18日

審美眼

私は中学生頃から「地球人とはなんと醜い生き物だろう」と感心しきりでした。大人は合法でさえあれば人を騙したり陥れたり殺したりばかりに心血を注いでいるのが普通なのだと感じたからです。「自分が罰せられないかどうか」だけが基準で、生き方そのものには関心がないように見えました。

 

大人になってからよく考察すると、それは「審美眼」が欠落している人が多いということだと思います。人の容姿、髪型や服装やアクセサリーで美しく見せようと苦心している人は多いのですが、基本的に生き方や存在そのものが美しくないのです。何度も言いますが外観のことではありません。

 

身のこなしが野生動物に比べて美しくないことは小学生時からわかっていたことでしたし、仕方のないこと。考え方や生き方がどうであるかを問題としているのです。自分が摘発や逮捕をされなくても済む範囲で金儲けに躍起になっている、その姿そのものが「生き方」となってしまっていることに今の人間社会に対する違和感があるのです。

 

私は高校卒業後、直ぐに原付免許をとらせてもらいバイトしてスクーターに乗って海や湖の朝陽や夕陽や大自然を毎日眺めに通っていました。その雄大さに恍惚としていたのですが、似た人はいても老人だけでした。他の世代は労働や金儲けに忙しかったのでしょう。

 

美しさを感じる才能を失っていたのなら、社会に順応して自然と醜い生き方となってしまうのです。もはや自分の考え方や生き方が醜いとも感じてはいないかと思われます。

「審美眼」、何が美しくて本質的なことなのかを見極める非物質能力はとても重要です。

誰にでも元々はあった能力なのです。

2019年09月17日

急ぐことなど何もない

この世で不幸になれる法則を
お教えしましょう。

それは「こうあるべき」「あんな事は許されない」等のこだわりを沢山持つことです。

 

「何事にも無関心になれ」ということとは違います。「自分はこうである」「あの人はああである」等々の観察をすることは結構なのですが、それをコントロールしようとすることが軋轢を生むのです。戦争とは、そこが全てとなってしまうことで起きます。

 

価値観、宗教観、人生観、死生観などは同じ地球人であっても人によって異なるし、同じ人であっても時期によって異なります。肉体死を迎えてから変わる人もいます。

 

皆がそれらを経験から学ぶためにこの世に出てきたのです。それを否定していては、この世を否定することになってしまうのです。気づきのペースは人それぞれでよいのです。

よって悟りを焦ることはマヌケなこと。それは死んでからでも別の人生でも、その人の自由なのです。

2019年09月16日

情報の選別

テレビとは、一億総白痴化を目的としたコントロールツールであり、昭和中にはそれが成功したかに思われました。政治家だろうが企業経営陣だろうが、カネや権力を手にするためにはバカな国民を大量生産することが必須でしたから、学校ではカネのことをはじめとして大切な事は一切教育しないように努めてきました。そしてテレビや新聞というツールを駆使して、嘘やくだらない事ばかりを徹底して視聴者や読者に浸透させてきました。

 

ところがここ数十年は、ネットを使えば誰でも能動的に情報を得ることができます。テレビを見ない人も増えましたし、見ても偽情報を信じ込まない人が増えています。一部の人の操作だけではバカな国民を大量生産できなくなってきているのです。結果として白痴は減っているでしょう。

 

ネットであってもデタラメ情報が出回っているのは同じこと。内容の真偽や重要度を自ら選別できることが益々求められてくるでしょう。

2019年09月15日

敬われる老人

敬老の日に関するお話です。

 いわゆる未開の地とされている地域ほど老人は敬われています。それはなぜかと言いますと「知恵」があるからです。身体は老化することで機能低下をしても、非物質能力は歳を重ねるほどに向上するということを、自然と共存している人達は皆が知っているのです。

 

人を動物であると考えていれば、スマホやゲーム機器を操作できるだけの若者からしても肉体機能が劣っているだけの老人は「ウザイ」や「早く死ね」となってしまうわけです。先進国にありがちな傾向ですね。どちらの方が進んでいるのでしょう。

 

裏を返すと、歳をとっても新聞やテレビの情報を鵜呑みにして、身体だけではなく頭も弱っていて生活の知恵もないのでは邪険に扱われても順当かもしれません。

 

皆さんも身体はともかく非物質知性を生涯にわたって磨き続けましょうね。

2019年09月14日

能力の発揮

やっと少し涼しくなりましたね。
私にとって熱すぎると難関となるのは横断歩道です。

車椅子なしでなんとか歩いてはいますが、限界スピードでもノロノロなため、信号が変わってすぐに渡り始めないと渡りきれない場所が多いのです。猛暑だと途中でバテて歩けなくなりそうで断念(笑)となるのです。手スリがしっかりしている横断歩道はもちろんありません。

 

それで思い出したのですが、3年前に意識不明の重体となった時、部屋の中の私の上に荷物が一杯に積まれて身動きができないという映像を何種類か体験しました。部屋は地上だったり地下だったりで色々でしたが、とにかく身体が動かない程の荷物に囲まれていました。例えるならテトリスの下の部分みたいな(笑)それを興味深く見ていたギャラリーも複数人いました。

 

私は医師でもないし勉強もしたことはないので「脳幹出血」という自分が襲われた症状を後日になってから聞いて初めて軽く調べた程度です。
頭の中心の密度が高い部分が出血することで脳幹や小脳が押し潰されてしまい、死に至るか重度の後遺症が残るのです。

 

そんなことは何も知らないはずの私が、意識不明の状態でそれを示唆するような夢らしきものを見ていたのは偶然ではないでしょう。
実際に死に向かっていたこの肉体は、どうする事もできない医師等複数人に見守られていたようです。その他のあらゆる夢のシーンでも、動かしたくても身体が動かない場面が多々ありました。

 

激しい痛みを感じたり、この肉体がほとんど動かないと自覚したのは意識が戻ったもっと後日のことです。大脳は損傷を受けずに済んだので、考えることは早めからできて手を動かす訓練が進むにつれてPC入力はできるようになったのです。

 

死にかけると健常時にはない能力が発揮できることはどうやら事実です。
ところが健常時でもそんな状態にすることはできます。
それが瞑想や夢見の状態。

人の能力を、この世にいながらあの世に近付ける手法があるのです。
中でも安易なのが麻薬。
しかし弊害も大きいので、ほとんどが違法ですよ!

2019年09月13日

興味・関心

現代人の風潮として「自分には関係ない」「興味もないし自分ではどうしようもない」といった、この世界への諦めのようなものが強くあるように思います。

 

戦争も飢餓も全く知らない世代が国民のほとんどを占めている今だからこそ必然的に起きている現象ですね。
良い事だとは思いませんが、周りの人がポロポロと死んでいたならば「自分の人生とか国や惑星が今どうであるか」に関心を持たざるを得ないでしょう。

 

干渉をしないことは結構なのですが「地球環境や自分の住む国がどのようになっているのか」は皆にとって自分が大きく関わっている案件です。つまりは自分のことでさえも、どうでもよくなっているということだと私は感じます。

 

何事も、関心を持たない事に対してどうこうしようとも思わないのは当然のことです。
それでも人や星ついてぐらいは、皆がもっと関心を持つことで実はどうこうできるのだと私は思うのです。

 

物質としてではなく
非物質としてですよ!

2019年09月12日

強さとは?

野生の生き物が捕食のために獲物を追っている姿や映像を見て「可哀そう」とか「厳しい」とか思う人がいるとします。きっと「自分が追われて食われたら嫌だなぁ」とイメージしているからですね。

 

貨幣経済が発達している人間社会では、捕食のために直接的に人を殺して食べることはあまりしませんが、権力者はカネ欲しさに人を騙したり殺したりしているので、あまり変わりがありませんね。
食されなくとも、
若くして心が病んで亡くなる方は常に多数。

 

反面、不具合のある個体でも守ったり保護したりする特性を多くの人間は有しています。野生の生き物では、弱い個体が優先的に捕食されます。

 

私は弟が生まれた時からの知的障害者でしたし、今では私自身も死にそびれの不自由な身体となってまだ生きています。
人とは「知的生命体」であって、弱肉強食である他の生き物とは異なるということを学ぶサンプルは、誰の周りにもあることでしょう。

 

物質的な強さをだけを誇るのであれば、人じゃなくても他の生き物を観察していれば充分です。だから私は「非物質的な強み」が人類にとって大切な要素であることを前面に押し出しているのです。

これまでの地球文明を見ていると、人間も他人を騙したり殺したりできることが「強さの証」だと考えている人が力を有していることが悲しくなりますね。

 

しかし、地球人類の皆が知的生命体となる時が間もなく訪れるのです。

2019年09月11日

洗脳から抜ける

宇宙とは広大で、一人の人間なんぞはちっぽけな存在である。

 

小学生、遅くとも高校生くらいには皆さんそう感じていたことでしょう。

それもそのはず、学校の教育では物質の大きさとか重さとかを絶対的なものとして子供に教え込んでいるからです。

宇宙空間からしてみたら惑星地球はハナクソも同然、それでは人間などハナクソを構成している埃の欠片にも満たない矮小な存在かと思えてしまうのです。

 

ところが時間も物質空間も重さも相対的なものであるというのが真実です。時間があっという間に感じたり退屈な長さに感じたり、大きいものばかり扱っているとそうでないものが小さく感じたり、小さいものばかり扱っていればそうでないものが巨大に感じたり、「火事場の馬鹿力」とも言われるように同じものでも軽く感じたり凄く重たく感じたり…

このような経験は誰にでもあるでしょう。

 

俗に「気のせい」とは言いますが、その「気のせい」とは何なのかを解明できない今の地球人が作成した教育プログラムですから、そのようになってしまっているのです。脳や神経がどうのこうのと言い出すのは、解明できない人間のあがきでしかありません。

 

人間も動物(物質)として生きて朽ちて行くだけの存在として扱われているので「肉体死とはどういうことか」などはテーマにすらならず、ほぼ皆がただただ肉体死を怖れて避けて逃げ惑う動物と成り下がっているのが現状です。

長いこと、この世では皆が基本的なことを何も知らぬまま彷徨ってきたのです。

 

2019年09月10日

この世の兆候

ここ数十年流行っている「引き寄せ」とか「想念の具現化」みたいなものは、率直に言って「あの世」の法則を「この世」でお披露目しているだけなのです。

 

その成果あってか、実際に企業や役所の言いなりに長年労働して肉体死だけを恐れてこの世で生きている家畜のような人は減り、長生きの保証はなくてもある程度は自由に生きる人が増えています。

 

平和な世の中だとはいっても、いわゆる堅い生き方をしたからって必ず幸せで長生きをするわけでもないので、それに気付いた人から生き方を変え始めているのでしょう。

 

いずれにせよ「この世」が「あの世」に近付いていることは事実ですね。

2019年09月09日

この世を去ったら

この物質肉体の世界を去ったら、どんな風になるの?

参考までに、3年前に私が経験したこの肉体を去った世界では「あらゆる時と場所を訪問してきた」といった感じです。時と場がこの世とは異なるので説明が難しいのですが、訪問順序があったわけでもありません。直線時間にムリヤリ換算すると「自分の人生の過去と未来、何千年分か何万年分かの複数を同時に経験してきた」となるでしょう。

 

簡略な言い方ですと「自分が創作した場所と時間で過ごしてきた」ともなります。ですから冒頭の答は「自分がクリエイトした世界の住人になる」ということです。

 

宗教的価値観で、生きている間に例えば天国地獄を想定していたとすれば、そのままその世界に向かうのです。例えば仏や菩薩、キリストや天使をイメージしていたならば、そんな姿をした者が迎えに来るでしょう。間違いも正解もありません。ひとまずは物質世界と比べても極端に違和感のない世界へと移行します。

 

ただ、今のこの世ではあの世の情報を得られたとしてもあやふやだったり、話す人書く人によって内容が異なったりしすぎるので、世界を創るにしても創作イメージの材料に乏しい状況と言えます。その人その人によって移行する世界が異なるというのが事実なのですから当然、起きてしまう現象なのです。

 

ですから、この世で生きている間に自分があの世をどのように創作するのかを意識して肉体死を迎える事が重要となります。
意識や想念が自分の世界を創るという法則は、この世に生きている皆にも多少は共通しているルールですからね。この世は益々そのようになって行きます。

 

「何から何まで誰かが決めたルールに従って生きるだけ」という部分が「この世」の長年の特徴ではありましたが、それでは人間が家畜と同じになってしまうため徐々にルール改正がなされているのです。

 

私が「この世があの世に近付く」と話しているのはこのことです。自分で創出する部分が大きいからこそ「知的生命体」となるのです。

2019年09月08日

「インセプション」

7年ほど前の映画、ディカプリオ主演の「インセプション」を皆さんご覧になられてますでしょうか。私は何度も観たのですが、今日数年ぶりに鑑賞して改めて感心しました。

 

 「夢か現実か」「生と死」「時間や空間とは意識が創り出している相対的な概念」「想念と創作」等々の「この世・あの世」双方に通ずる重要テーマが見事に盛り込まれている映画で、この21世紀初頭にせっかく先進国で生を受けたのならば必見!

私にはそのように思える作品です。

 

 「インセプション」、100円レンタルもされていますので、まだご覧になっていない方、是非ともご鑑賞ください。

2019年09月07日

新たに加えられる基本能力

小学生の頃からの考えとして、私は「人の視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚のいわゆる五感がどんなものなのかは、その人自身になってみなければわからない」というテーマがあります。

 

赤い色を見せれば誰もが「赤」と言いますが、その赤色とはどんな色として視覚認識されているのか。小さな頃からその色が赤だとは皆が認識しているのですが、自分の赤とその人が見ている赤とではまるで異なる視覚認識をしているのではないかと思ったわけです。私は幼稚園入園前から鍵盤楽器を演奏していたので、音というものに関してそんなことを思ったことがきっかけでしたが、嗅覚味覚触覚に至ってはもっと個人差があることが後々わかってきました。

 

成人すると更に個人差が大きい感覚が存在することに気付きました。それは霊感です。

距離や時間を超越して何らかを認識できる能力なのですが、その認識対象や能力差にあまりにも個人差が大きいため、誰もに備わっていて当然とされている五感には含まれていません。

 

霊力が地球人類にとって当たり前の能力となるのか、一部の例外的な能力として社会から排除され続けるのか。それによって地球人類の未来も大きく異なってくるでしょう。今がまさにその分岐点かと思われるのです。

2019年09月06日

空間と記憶や感情との関係

脳幹出血で倒れてから半年後から2年後くらいまで、私は再び歩けるようになる訓練のため毎日公園の散歩コースを通っていました。ところが昨年末頃から歩くことが難しくなってしまいタクシーやバスを使っていましたが、ついに再び歩けなくなって医師に「命が危険だ」とか脅されて(笑)入院をしました。

 

脳幹損傷による内蔵の機能不全で血液とかがマズイことになっていると判ったので、できる対策を採って半年ほどでボチボチ歩けるようになってきました。それで本日は半年以上ぶりで多めに公園散歩コースを歩いてみたのですが、頭がパンクしそうでした。

 

死に損なってからというもの、まだ生きるのならば、かつてのようなまともな肉体に少しでも戻そうと懸命に身体を動かす訓練を日々重ねていたのですが、頭脳は割と早く健康に戻っていたため、あらゆる事を考えながらノソノソ歩いていたのでした。今日、歩きながらその頃の記憶や感情が生々しく甦ってきたのです。

 

これは私の元々の持論なのですが、場所と記憶(感情)はリンクしているのです。

 

特定の場所で思い出す記憶、感情、曲は誰にでもあるでしょう。人の脳をハードディスクみたいに考えている現代人は誰もが見逃しがちなのですが、記憶・感情・音楽などの非物質は場所(位置)とも深い関わりがあるのです。

 

空間そのものが非物質なのですから、当たり前だと言ってしまえば当たり前のことです。だから気分転換とかアイデアひらめきを求めたりとかの場合は皆、旅行したりするのです。

 

睡眠や夢も非物質世界ですから、アイデアひらめきを求めるのならば旅行と同じように有効な手段となりますね。

2019年09月05日

叶わなくても良い

私は小学生の頃から「人の本質は非物質だ」とか言っていたわけではありません。(笑)

 

人並に車やロボットのオモチャを欲しがっていたし、楽器やスポーツ用品を親にねだったりしていた普通に物欲のある子供でした。しかし小学生では小遣いもしれているしバイトもできませんから、自然とカネを必要としない遊びに特化していったように思います。

 

十代後半からは、バイトをしたりどこかの従業員になったり起業や経営をしたりで、カネを稼ぐという行為に時間やエネルギーを費やしたし、色んな欲求を順次叶えてきました。子供ではどうすることもできなかった事を、大人になってから実現させたのです。

金持ちに憧れたり羨ましがったことはありません。「特別なことでもないし、時期が来たら自分も多少は稼ごう」と、子供心に思ったまでです。

 

カネ儲けでも恋愛や結婚でも何でも、憧れたり羨ましがったりしている時点で「自分にはその能力が無い」と定義しているようなものです。逆の言い方ですと「自分が実現させないような事に憧れたり羨ましく感じる」のですね。

 

芸術関連等では「自分は一定の能力にどうしても届かせることができない」という場面も多々あるでしょう。

しかし他の大凡のことならば、そんな特別な能力を要するものではありません。自分自身でハードルを上げて自己評価を低く見積もることで努力や工夫を放棄しているのです。

 

人の性質として「望み」は叶ってしまうとそれはどうでもよくなって別の目的や他に興味を持たざるを得なくなるものです。

 

ですから言いにくい事ですが、多くの人が夢や希望を持ち続けていたいが故に、何かと叶わせないように工夫している部分があるのだと私は思っています。

2019年09月04日

ヒトを解明する

東京ディズニーランドでも「ホーンテッドマンション」というお化け屋敷みたいなアトラクションに入ったことのある人は多いでしょう。あれはホログラムという技術を活用しているのですが、立体の物質に見えるものでも実はそこに何の物質も存在していないということを気軽に体験できます。

 

人も宇宙も本質は非物質存在なのですから、物質の部分だけにフォーカスしていても本質的なことが解らないのは当然のことです。土をほじくって物質を持ち帰って「宇宙の解明」とか騒いでいるのでは、まさに幼稚園児の遊びです。肉体をいじくって「命の探究」とか言っているのと同じことですね。

 

恒星や惑星や衛星、それらの運行等の諸々が地球に影響を及ぼしていることは確実なのですが、現代人は肝心な非物質的な影響力を解明しようともしていないのですから、地球人が周りの星から乳幼児のような扱いを受けていることは妥当なのです。

 

星のことは後に続くこととなれば良しとして、まずは生物「ヒト」の非物質側面を理解することが急務なのです!

2019年09月03日

あの世からこの世を乱さない

現代人は肉体で生きていることを重要視しすぎています。

逆に言いますと、肉体を有しない非物質の人を軽視しすぎています。

俗に「霊」と呼ばれている存在のことです。

 

政治家でも企業創業者でも、他界後に生前以上の影響力を持つ方は大勢います。

手足を動かしたり口を使って話したりしなくても人を操れるとしたら、そして肉体のような寿命がない事を考慮したならば、それはもう絶大な威力を発揮できることはこの世の誰もがちょっと考えればわかることですよね。

 

実際にそれが要因で、長年この世は掻き乱されてきました。それではあんまりですから、皆が正しい「この世・あの世」認識を持ち、肉体で生きているうちに非物質の特性を活かすようにし、他界(非物質化)後はこの世に干渉しない方向に持って行きましょう~

 

そんな運動に私も参画していると思っていただければ、私の投稿は解り易い話かと思いますよ!(笑)

2019年09月02日

炭素から?へ

地球の生体や諸々は「炭素」がベースになっていることは皆さんご存知でしょう。元素記号から憶測して、「次は珪素だ」と言っている人も出始めています。

 

それにしても幼稚な地球人の憶測なわけですし、物質的に何がベースであろうとも大した問題ではないと私は考えます。それこそ「幽霊は何の物質でできているのか」というようなテーマに近いバカバカしさを感じます。

 

ただ、人体に限ってはこれまでとは基本的な構成物質なり構造なりが変わり始める時期だと思います。非物質に向かっている人類が物質としてどう変わるのか?では、旧地球文明の価値観を引きずっているだけになりますよね!

 

私は、昨晩の早い時間帯から急激な眠気に襲われてしまい、15時間くらい横になっていました。深い睡眠でもありませんし、どこも痛がったり苦しんだりはしていません。ただ静かな時を過ごしていました。身体の新陳代謝もほとんど止まっていたらしく、ほぼ汗もかかずトイレにも行きませんでした。この世界に意識シフトするのに数十分かかりました。

 

ここ数週間、「この物質肉体が」ではないのですが、全身をレーザー照射されているような感覚が継続しています。「誰に」でもなく無人の雰囲気です。同じような淡い記憶に包まれている方はいらっしゃいませんか?

 

人体の変貌を私は自ら感じています。