お知らせ

2018年08月21日

肉体種の保存

「死ぬ気になれば何だってできる」そんな言葉を聞いたことがあるでしょう。

 

一般的には確かにその通りの部分もあって、もしもの事ばかり考えている人ほど出来るはずの事まで出来なくなってしまいます。でもそれは、生きるためにがんばっている日常があり、肉体死を迎える事が最悪の事態だと考えているという前提があります。

 

どういうことかと言いますと、根底で「死にたい・生きていたくはない」と思っている人ほど、ほんの些細な事でも億劫になる傾向があるのです。

 

ちょっと恐ろしさを感じる人も多いでしょうが、今の社会を牛耳る側の立場にある人から見て「なんだその情けなさは!甘いな~。そんなんじゃ生きて行けないぞ!」という感じの若者がいたとして、「生きて行けない?ってことはがんばらなきゃ自殺しなくても死ねるんだ。ラッキー!」が本音だったらいかがでしょう。

 

簡単に言えば肉体生命のバイタリティの問題ですね。

 

端的な例は、出世競争に明け暮れているような人なら銃を突きつけられたら基本的に「金なら出す。命だけは助けてくれ~」となりますが、それが「殺してくれるの?ありがとう」と相手に言われたらどうでしょう(笑)。

 

ハッキリ言うと、外見は似たように見えても死生観が大きく異なる種が同時に生きているのが今の人間社会なわけです。「名誉やカネやセックスや御馳走をたくさん得るためならどんなにひどいことでもやってしまう」という人はもはや絶滅危惧種です(笑)。

 

精子が減っているとか草食系だとか言われ始めてそれなりの年数が経っていますが、グルメだって似たようなものでしょう。生殖機能としては肉体人間は今でも大多数がオスかメスかのどちらかに生まれついているのでしょうが、動物としての種の保存をするために生まれてきているような人間はとても少ないように私は感じます。

 

いっぱい繁殖してほぼ絶滅して…というような文明実験の繰り返しというベタな経験をするために肉体で出てきているとは限らないという意味です。

 

総じてこれは福音だと私は捉えています。だって、毎度おなじみの大量殺戮や脅しで肉体人間を制御しきることが難しい時代に、今の私たちは存在しているということなのですから!