思いもよらぬ出逢い
自分の考えや想いを表現することにおいて得意な人と苦手な人がいると思います。自分を認知してほしいと考えるかどうかですね。ですから得意でも不用と考えて表現しない人がいますし、苦手でも必要だと考えて一生懸命に表現している場合もあります。
これも経済社会だからこそテーマになることだと思います。商品を買ってもらうためにはまず商品を認知してもらう必要があります。商品化されていないのに「売ってくれ」と申し出る人だっています。
物質の商品ばかりではありません。「そんな知識や経験や実績のある人物を求めていた!」つまり人間自体が商品となる可能性も高いのです。
親が裕福だったり既に身分や収入を確約されているような人は、表現力に乏しくなる傾向があるわけです。それに対して「自分(の商品)を誰かに高く買ってもらえるよう、できるだけ目に留まる努力をしよう」となれば、表現力も自然と高まるわけです。
表現しないことには存在自体を認知してもらえないわけですからね。
そこで意外なのは「誰が何を欲しがるのかは予測がつかないものである」ということです。特定の何かを常に欲しがる素振りを見せておきながら一生手に入れない人もいますし、本人の口からまったく聞いたこともない突拍子もない何かを衝動買いすることもあります。
私はそれが「ご縁」というものだと思うのです。本人にも説明のつかない霊感というかエネルギー的なものを感じて咄嗟に特定の何かを引き寄せてしまうことがあるのです。
つまりここで私が言いたい事は、顕在意識上は自分が何も求めていないとしても、自分を表現する事は予想以上に大切であるという話です。
金銭的なことだけではなく、偶然の出逢いで人生が一変することはよくあるのです。厳密には「偶然に見える必然」と言うべきでしょう。一切の自己表現を拒んでいたのでは、その「偶然に見える必然」を逃してしまうことにもなりかねないのです。
俗に言う「目立ちたがり屋」であっても、金銭や名誉を求めてそれをしているとはかぎりません。ましては石や木ではなく人間として存在しているのですから、レベルやセンスはまちまちでしょうが自由に表現することは健全なことだと考えます。表現する者を快く思わないならば、自分が表現することを抑圧している証拠なのかもしれません。
どんなにささやかな事だったり時間がかかってしまっても結構ですから、自己表現をもっとしてみましょう。思いもよらぬ面白い事態が訪れる可能性が高いのです!