わかってない!?
「親切ぶっている(偽善)」と思われることを恐れて些細な行動も起こせない人が標準となっているイジョウな世の中で、堂々と「確実に訪れる肉体死から逃げないで生き方を決めましょう!」と発信しているセイジョウ石井です。
気付けば3月ですね。以前、自分を理解してもらうコツを話題にしましたが、それとは逆の立場での発言で「あの人はわかってない」という、ほぼ決め付けに近いもの(笑)もあります。
私の経験では、早々と「わかった」と答える相手こそわかっていないことが多いようにも思えます。むしろ「どうでもいい・うるさい・めんどうくさい」と感じていると早く切り上げたくて、その場ではすごくよくわかったみたいな態度を示すケースはありがちです(笑)。
つまり、しっかり聴いていてその事に真剣に向き合っているテーマほど、安易な返答では済まされなくなるのです。
ですから、誰かに何かを言ったら相手が質問を返してきたり、あるいは敢えてしばらく沈黙してから代案を出してくるとかなら、それは言ったことが響いている証拠です。それが本来の人間の自然な振る舞いだと思うのです。
大佐か長官か部長か先生かそれは知りませんが、上司となる人は大抵が自分の言った通りにそのまま従う人を好むため、雇われている身なら誰もが自分の処遇を決める相手から言われたことには即従うことが賢いやり方となり、それが私生活でも習慣化している人がいるのかもしれません。数値化できない創造性などがある人は、属している組織が大きいほど才能の芽を伸ばすことが難しいのは当然のことです。
いずれにしても自分の人生の舵取りが人任せとなったまま何十年も過ごしていれば、当たり前ですが創造性どころか思考力も判断力も失って行きます。それを実感している人も多いでしょう。
少し話が逸れましたが、なぜ急にこのテーマを持ち込んだのかと言いますと、近頃一歳の息子と遊んでいていつも思うからです。
写真は、車のオモチャで一緒に遊んでいたのに息子がそれを突然ほったらかしにして別の行動に出たため「おい、終わりにするのなら片付けろ!」とかキツめに言っている私の画です(笑)。返事もなし、一切振り向きもしないのですが、ひとはしゃぎ終わると一人で黙って片付けをするのです。
つまり聞こえているし、わかっているのです。「ちゃんとわかった素振りを見せればご褒美がもらえる」といった発想がない(実際にしてないので)だけなのです。それを「もう、わかんないかなぁ」とかブツブツ言って毎回私が片付けていたら身につかない習慣です。
大の大人を赤ちゃんと比べるのもどうか?…そう感じる人もいるでしょう。
ところが歳を重ねて穢れる人が多いというだけで、人間の本質は老人も子供も大して変わらないと私は思うのです。むしろ受けた洗脳が少なくて、長期の執着を持たない分フラットで、相手が子供だからこそ学びが多いと考えています。自分自身のこの肉体人生も、何か大切なものを見失いそうになった時は自らの幼少期の記憶や感性を頼りにしてきました。
「相手がわかっていない」と決め付けることは、以後のあらゆる場面で「自分は要らぬことばかりしていた」という状況に自分自身を導くリスクの高い行為です。
「わかった」ということをすぐに表現しないからといって、その相手が本当にわかっていないとは限りません。自分の思い込みを口や態度に出すのは少し待ったほうがよいのでは?
でないと、アナタこそが「わかってないな~」と相手に思われているのかもしれません(笑)。