お知らせ

サルから知的生命体へ
2019年04月08日

サルから知的生命体へ

興味があってもお越しできなかった読者のために、私が一昨日の講演でお話した内容の概要をかいつまんでここに書きます。

速い話が「長い間サルみたいな動物として存在した地球の人間というものでの生存形態の文明実験が終焉する時代を迎えている」という話です。

 

獣は物質としての生存維持を目的に繁殖して、他の存在を駆逐したり騙して搾取したり利用することが重要でそのために懸命な努力をしてきました。大衆は自分が一部の人に搾取利用されていることがわかっていても、同じく自分の物質的死を怖れて物質の肉体を維持するためにそれに耐えてでも生きようとしてきました。

 

ところが明らかにそうではないスピリットが肉体を持つ時代に入っているのです。優しくて性欲がなかったりアブノーマル性的嗜好でお金とは無関係な事に興味を持つ。搾取利用されるだけの家畜的な生き方をよしとはしないで、むしろ簡単に自殺を遂行する。要するに獣としての生存本能が廃れているのです。カネや名誉や権力のために人生を犠牲する人は減る一方です。

 

これは明らかにこの星の文明実験プログラムが書き換えられているのです。知的生命体をサルに宿らせること自体に無理があったと判断されたのでしょうか。

 

まだしばらく生存するとして、人間とは、生と死とは何かという概念を塗り替える必要が多くの人に求められるでしょう。人間がサルから知的生命体にシフトしようとしている劇的瞬間なのだと私には感じられるのです。

講演会ご報告
2019年04月07日

講演会ご報告

昨日4/6(土)の講演は無事に終了しました。お越しくださった皆様、ありがとうございました。

自分の講演時間の1時間はあまりにも短くて言いたい事をあまり言えていない感もありましたが、今地球で起きている文明の変化や地球人類の向かっている方向性のお話を全般的にしました。皆さん黙々と真剣に聞き入ってノートをとられていた方も多く、長年この「サトルエネルギー学会」に出入りしてきた(20周年だそうです)会員の方々も懇親会に参加されて色々意見をくださいました。

私の考え方や話の内容の独自性に感心されて未来を嘱望される嬉しい意見が多く、私も「子供の頃から自分が感じていたこの星の疑問や解決法を探求してきたことは無駄ではなかった」と嬉しくなりました。私の話す時間がもっと欲しいということはお客様も感じていたらしく、主催側も感じてくださって、「近日もっと何時間も話す機会を設ける」と言ってくださいました。

ありがたく嬉しい一日となりました。頼んでもないのに勝手に私のことを「サトルエネルギー学会」に話してこのような展開を導くきっかけを作ってくれた山田さんにも感謝です。わざわざお越しくださった知人友人の皆様もありがとうございました。

また次の予定が決まったらここでも告知しようと思います。これをお読みくださっている皆様、これからもよろしくお願いいたします。

 石井数俊(セイジョウ石井)

個人か星の仲間か
2019年04月04日

個人か星の仲間か

今日も妙な天気でしたね。最近朝晩は急に冬かと思う寒さになったり昼に陽が当たると暑いくらいだったり、桜も満開じゃなくても散っていたりするので観察していて面白かったです。私はいろんな木があっても良いと思います。

 

皆が一気に満開になったり散ったりするよりも、枯れた木みたいにしょぼいのがあったり花が咲かない木が混じっているのもそれはそれで楽しめると思います。全部が一気に咲いたり散ったりは軍隊教育の成果みたいで私はおぞましい感があります。日本人の国民性からするとそれを良しと感じる人が多いのでしょう。少し危険ですね。

 

2012のアセンションとかで世間が騒がれていた時期に、それこそ雨後の竹の子のごとくそれ関係の書籍が出版されていて、私はほぼ全部を読破したと思います。(笑)その中には「○○人が覚醒しなければアセンションは失敗に終わる」みたいな著述も多かった記憶があります。私は「これじゃアセンション宗教だなぁ」と感じて読んでいたのですが(笑)この星に生まれてどう生きてどう死のうが個人の問題なのであって、誰々のせいで成功した失敗したというのは幼稚すぎる発想だと私は思います。できれば明後日4/6(土)の講演でもそれについて触れてみようと思います。

誰も避けられない肉体死
2019年03月29日

誰も避けられない肉体死

今日、退院後の経緯を検査するために病院に行ってきました。

 

一週間以上入院する不便さを考えたら月に数日病院で時間が潰れることもそんなに苦になりません。シラフでもフラフラして徐々に歩けなくなった主要因である血液中の健常者には必要不可欠の要素も複数の対策で人並みに回復していることが確認され、ゆっくりでも歩けるように今はなっていて、まだしばらくは生きて行けそうです(笑)。実に絶妙なバランスで生きているのが人間なわけですが、今度また内蔵の暴走で何が不足して何が過剰になるのかも見当がつかないのです。しかし気にしていても仕方ありません。定期的に検査したり突如体調不良に襲われて否応無く発覚するでしょうから、気楽に構えておきます。元々長生きしたくもないのですから!笑

 

死を怖れることと同じ問題です。どんなに心配しても人は死ぬ時には必ず死にます。それで死なないのなら気にかける価値もありますが、産まれて生きているからには「いつどんな風に」の部分で個人差があるだけで死は確約されているのです。でもそれは動物の肉体としての話です。知的生命体として素晴らしい活躍を遂げる人でずっと自分の死を心配して生きている人は少ないでしょう。

 

自分の肉体死が大きなテーマになりすぎないことが「充実人生」の鍵である。それが真実だと私は思います。

知的生命体
2019年03月28日

知的生命体

地球の人間は知的生命体ですが、今の人間は猿と似た動物の一種という扱いを受けています。進化論やDNA解析はじめ様々な要素から「自分は猿と同じく動物である」と認識している人が、世の中には実際多数うごめいています。

 

やっていることはまさに猿と同じで群れを成し、強さを競って格付けを決めて優位性を確保することに躍起になり、一度有利な立場につけばエサも異性も自由になる傾向があるためボス猿として以後も君臨したがります。群れの仲間として認識されれば守られてなんとかやって行けますが、それに失敗すると常に損をしてイジメられる、しがない猿としての未来が待っています。

 

しかし目立たなくても知的生命体として生きている人もいます。ラクして異性にもてたりカネを奪ったりして自分に流れ込むことに興味を示さず、社会に貢献したり他人を魅了させる何かを生み続ける人たちです。

 

前者は際限のない欲に常に囚われていますが、後者は孤独なように見えていつもハッピーな気持ちで過ごしている場合が多いです。「人間とは何か」を左右する根本的な考えの相違です。

 

4/6(土)の講演でうまくお伝えできればと思っています。可能でしたらその時にお会いしましょう。

自覚して生きる
2019年03月26日

自覚して生きる

今日は穏やかな陽気に誘われて世田谷公園をゆっくり散歩してきました。

 

倒れる前から私はほぼ一人でここには通って哲学していたので(笑)元気だった頃の自分、脳幹出血で重体になった日に息子が誕生したこと、意識不明で寝たきりだった自分が立って一生懸命にリハビリに歩いてここに通っていたこと、そのうち息子が歩いて一緒に来るようになったこと、今では息子が喋って私に話しかけてくること、その経緯を見守ってくれていた妻がいつもいたことなど、数年でも濃い過去の思い出が怒涛のごとく押し寄せてきます。

 

息子は保育園に通うことを嫌がるので、この春別の保育園に移ることが決まっています。生活のために保育士をやっているけど実は他人の子供の世話には興味が無いという大人をすぐに感じ取るのか、そういう人には会いたがらないのです。

 

何が言いたいかというと、誰でも大人になると数年くらいは「あっと言う間だった」という場合が多いでしょうが、一瞬一瞬を心に刻んでいないだけだと私は思うのです。

 

ほぼ毎日一刻一刻を自覚して何かをしていれば、数年もあれば記憶に残ることは誰でも盛り沢山なのです。子供が大人になるだけで時の流れが退屈になるわけではありません。無自覚に何かをしている時間が増えているだけだと私は考えるのです。どうせ生きるのなら無闇に長生きを望む前に日々を充実させる工夫を怠らないことが大事だと思うのです。皆さんはどう考えますか?

気持ちを伝える
2019年03月25日

気持ちを伝える

気持ちを上手に表現しているか?

 

私が検査入院していた一週間以上、息子は私が家に居ないことを苦にしていたという妻の話とは裏腹に息子は病院に会いにきてくれてもそっけなく、自分が食っている弁当を「こればミズ君の弁当だからあげない」とかつまらないことを私に主張していたりしました。私が家に帰って数日してはじめて私のベッドに深夜に入ってきて、新しく入手したらしいミニカーで自慢げに遊んで見せて説明を始めました。2歳半でも一丁前に恥ずかしさが強いようです。

 

笑ってしまいますが大人でも多くの人にこの傾向が強く残っていますよね。

嬉しくても素直に表現できない人がどんなに多いことか…

 

表現しないまま突然死んでしまっても「この人は最期までこういう人だった」という誤解した印象が残ってしまう事が多いように思います。深い仲なら「あんな態度を取っていながら本当はこう感じているんだ」とかの憶測もはたらきますが、よほど深い関係でもないかぎり伝わらないだけで終わっている関係も沢山あるわけです。

 

「いちいち言わなくたってそれくらいわかってくれよ」という甘えた願望が通じるまでにはそれなりに深い関係を築く必要があります。ここに「人間は表現する生き物である」という特性のミソの部分があります。

 

いつ死ぬかわからない状態で誰もが生きています。常に自分の想いや考えを表現する価値は高いと私は感じます。あらゆる歪みはそこから生じているとも言えるのです。

納得のいく人生
2019年03月24日

納得のいく人生

私は人生の殆どを孤独に過ごしてきましたが、晩年は妻と2歳の息子と(五十歳近くに遅すぎてまさかですが)過ごせたので満足しています。息子も二歳半ともなると色々認識しているらしく、乗り物に乗っても騒いではしゃいだりするでもなく、感慨深い顔をして私の瞳を見つめてきたので驚きました。公園で近くを歩いているのに「カズ、どこ行っちゃうの?」と心配そうな声を出すので驚きました。先週私は入院して留守にしていたので、色々と思うところがあるみたいです。「身体が悪くて走って逃げることもできないから何処へも行かないよ~」と軽く答えておきました。実際すぐに転ぶので私の身体には触れないように気を付けてくれています。息子の目の前で転ぶと一歳頃から自分が転んだように大泣きするので共感力が強いのでしょう。サッカーをしたそうな身振りですが肩車はおろかダッコしてとも私には言ってきません。妻も私を長生きさせようとしているかどうか知りませんが(笑)おいしい減塩食を毎日懸命に作ってくれます。この動画の撮影も妻です。

ですからいつ死んでも「やりそびれた・ああしておけばよかった」と思う大きな事は何もありません。

 

ただ地球にやってきたミッションとして「人間を家畜や奴隷として扱っている種が闊歩しているこの星においても、命の尊厳というものを重視する(単に肉体での長生きという意味でなく)レベルの文明を実現させたい」という目的はまだ未達です。

 

同じように感じている人が多くなっている昨今ならチャンスはまだまだあるとも感じています。皮を被ってコソコソしていないで積極的な行動を皆が起こせばよいだけだと思います。さもなければ奴隷(社畜・国畜)として不本意な死を遂げるまでです。それはそれで個人の貴重な経験にはなるでしょう。

 

でもせっかく今の時代にこの星に生まれて生きているからには納得の行く人生を皆で生きましょう!

 

ひとまずは4/6(土)14:00からの講演会で可能な方はお会いしましょう。

 

宗教というワナ
2019年03月23日

宗教というワナ

ほとんどの人は自分の人間としてのスペックを鑑みて「自分は何の取柄もない量産品だ」と定めています。そう感じながらも「特別な存在でありたい・特別な存在と関与したい」と願っています。ですから特定の人物を一般の量産品とは異なる特殊な存在と思わせることに成功すれば、貢いだり従ってくれるわけです。芸能人でも教祖でも、みんなその同じしくみで庶民と自覚している人間を動員しています。特別な人を見かけた、接触した、関わったというだけで優越感を感じる人々全員が搾取対象です。

 

基本は自分が取るに足らない存在だと思っていて、そうではない価値が高いと思っている人のためなら時間やエネルギーを注ぐ傾向が誰にもあるのです。その人の特性を利用しているビジネスが宗教や芸能人や各種ブランドだというわけです。

 

「人間にはそれぞれ異なった魅力があるだけで皆が特別な存在だ」と見なして自分の人生を生きていれば、特定の宗教信者やファンクラブ会員や特定ブランドに入れ込むことはありません。これらに搾取されている理由は、自分以外の何かに価値があると思い込んでいる人が多いからです。

 

単に人間の価値というものに想いを巡らせてこなかった証だと思うのです。この辺のことを教えてくれる人も少ない世の中なのでしょう。

肉体余生
2019年03月22日

肉体余生

今日、先週入院検査していた病院で退院後の検査がありました。

 

採血と検尿でかなりのところまで健康状態がチェックできるので、病院嫌いな自分でも感心します。

私は脳幹出血で脳幹を損傷しているので、内蔵全てが脳幹との連絡が正常になされていないため、予想もつかない働きを内臓がしていて全身が危険な状態になっていたのです。

 

誰でもそうですが、心拍を意識しなくても機能しているのが普通の脳幹のはたらきに因るものですが、どこの臓器にどんな指令を出すとかの脳幹のはたらきを意図的に制御しようがないのです。

でもあり得ない指示を受けた内臓が勝手に仕事をするものですから私は肉体全体を蝕んでしまうわけです。検査入院ではその不明部分にアタリをつけて処方をしてみるという賭けに出たのですが、一週間過ぎた経過をみてみると賭けは当たっていたと言ったところでしょうか。同じヨレヨレですが歩き易くなったし、身体が随分楽になりました。

 

肉体のしくみとは実に繊細で微妙なものです。私は元々が2年前に脳幹出血という死んで当然の事態が起きたことは既成の事実ですので、いつまで肉体が維持できようと大した問題ではありません。ただ既にオマケで生きているからには何を考えて何をするのかに余生を傾注しようと強く想います。