お知らせ

なぜ肉体死がイヤなのか
2019年01月15日

なぜ肉体死がイヤなのか

もう新年が明けて2週間が経ちました。新年の抱負を謳った人もそうでない人も、滑り出しはいかがでしょうか?

 

想定できる前提の条件がある時代は「順調」という呼び方になりますのでしょうが、今は何がラッキーで何がアンラッキーなのかが見えない時代です。「年末ジャンボに当選してラッキーだった!」というほど単純なものではありません。

 

でもそれは「思わぬ大金を手にしたことで浮かれて人生を棒に振った」とか「気の毒な事故に遭ったのをきっかけに人生の大変換を成功させた」などよくある話であって、元々人生なんてそんなものだと思います。

 

ただ「死にたくない」という異常なまでの肉体生命への執着は、私に言わせれば「病気」です。心の病気なのです。カネや権力を得た人ほどなりやすいこの病気は、叶うはずもないことを望んでいる時点で精神病だとも思います。

 

肉体的には病気か健康かにかかわらず、今年の私は「心の健康を促進する」というニュアンスで「人間とは何か」について語って行くつもりです。宜しくお願いします。

 

詳細は順次アップして行きます。

全ては錯覚
2019年01月13日

全ては錯覚

今朝の時間感覚がおかしいと感じている人は多いと思います。ベッドに横たわっていても眠っているのか起きているのかわからないと言いますか、夢の世界が隣接していて境目が無くなっていると言うのか…夢に異常なリアリティを感じるのです。

 

夢や死後の世界と言われる異世界が一緒くたにされている感じが強いです。私は意識不明で臨死状態の時に散々経験してきましたが、これが常套化してくるといわゆる健常者でいることも難しいですね。ちなみに酒も薬もやっていません!笑

 

覚醒時と睡眠時、肉体で人間が物質として生きているのか死んでいるのかがあまり問題にならない時代に入っているのでしょう。正に人とは何なのかというテーマにメスを入れるのには相応しい時期だと思います。

 

時間と空間とは錯覚でしかないということを私はしみじみ感じ入ってます。

 

老いとは何か?
2019年01月09日

老いとは何か?

今日は風が強くて、いつもの公園でのリハビリが恐怖のアトラクションみたいな状態でした。(笑)

新しい事務所の物件現地でセコムさん立会いの説明があるとかで私も行ったのですが、何度も転ぶことを覚悟して手袋もして行ったのに意外と一度もコケずにすみました。

 

小脳に問題があると、地面の細かな勾配や凹凸を学習していない所では立ってもいられないわけなのですが、いきなりそれができてしまう人間本来の凄さを、機能を失ってからしみじみ感じます。

人は本質的に非物質エネルギーではありますが、肉体機能もなかなかに良く出来ているものだと感心しながら日々を送っています。

 

言いたかったのは、俗に「天才とされる人は隠れた訓練を継続しているだけのこと」ということです。運動神経なんて赤ちゃんは皆同じで、糞尿漏らして騒いでいるだけで、0歳では立ち上がることも着替える事もできません。ちょっと前の私と同じ!笑

 

成長に連れて学習や訓練が効果を発揮する、それだけです。生まれつき垂直飛びができたり言語を発したならそれは天才でしょうが、あいにくそんな人はいません。

 

歳をとると様々な機能が低下するのは、学習や訓練をしなくなるから・・・ただそれだけのことだと私は思うのです。

人はエネルギー
2019年01月07日

人はエネルギー

妻は長年整体マニアだったらしく、「すぐ近所で面白い先生を見つけた。行って来なよ」と年末に言われて素直に行ったら本当に面白かったので、今日も再び行ってきました。

 

私が西洋医学嫌いなのは妻だって百も承知です、かといって東洋医学でもありません。ざっくり言うと人間を肉体という物質として見るのではなく、非物質のエネルギーとして視覚認識して、人の持つ自然治癒力を引き出しているようです。

 

だからおまじないをかけているようにしか見えません。詐欺扱いをされないように身体に少し触れるようですが、本当は物理的な接触は不要だそうです。心霊治療ってわけです。

 

大病院に長年通ってもよくならなかった患者にもすぐに効果があるので、大病院の医師もリサーチにくるそうですが、実際に体験して「同じ説明ができないので患者には説明しないでくれ」と口止めされるのが常だそう。

 

特に本やテレビで下手な事を言うと反論者がうるさく騒いで面倒なので、普段は徹底してよくいる整体師のフリをするよう努めているそうです。でも本当は語りたいので、上手に引き出せば色々語ってくれます。

 

「人は本質的に非物質のエネルギーである」ということを理解してサービス提供している人と近所で出会え、以後が楽しみです。私は何も語ってないのに「普通のお客さんにこんな事は話さないのだが…」と何度も言われて、「どうして普通じゃないということがわかるのか?」と興味津々の私です(笑)。

 

実際に年末私の身体を眺めて今の状況や原因を明確にしてくれたので、二年前に死に損なったはずの私の身体は今激変を始めています。  

危険というもの
2019年01月07日

危険というもの

今日はそろそろ新しい事務所に具体的アイデアを盛り込むためにも散策に出掛けました。立地は駅から近いのですが、とても静かだったので起伏が激しい土地を敢えて選んだので、私のように身体が悪い人には危険な場所だとわかっていました。

 

案の定何度も転んで手は傷だらけ、足も捻ったのか激痛で眠れないので(笑)起きてこれを書いています。

 

この2年以上、「もし倒れたりで重症になると危険だから」という理由で基本差し控える事ばかりでしたが、それでは小脳をダメにした私が健康体に近付くはずもなく、未だにほぼ寝たきりかもう死んでいたでしょう。

 

リスクを負わないでリターンを求めるなんて「脳みそが年中お花畑でなければできない」と元々感じるタイプだったので、自然と経た経緯でした。

 

これは健康な人にも当てはまることです。リスクを避けることばかり考えていれば当然何もできないまま歳を重ねます。達成や喜びをはじめ何も得るものはないでしょう。

 

人それぞれですが、私は、そんな人生こそが最もリスキーだと感じているのです。

美しい生き方
2019年01月04日

美しい生き方

もうすっかり正月気分も抜けている方が多いでしょう。私も久々に息子の保育園登園のおかげで自分の時間を確保でき、自分と向き合う時間を作れました。

 

ここ2年、この世田谷公園にはいつ倒れて再び重症になるかもわからない状況で私は通っていました。最初は眼も見えないし坂や階段も無理なので、噴水を眺めているつもりでイメージトレーニングをしていたというわけです。

 

ただ耳は割と早く普通に戻っていて、ミニSLが走っていることは認識できました。そこに私が倒れた日に生まれた息子と乗車することを夢見て通っていたのが、ついに約一年前に叶いました。息子はまだ一歳だったので我ながら上出来です。

係員には赤ちゃん以上に介護の必要なオッサンの乗車に協力してくれた姿勢に感謝です。やはり区がやっているから福祉の心があるのでしょうね。

 

手すりがあれば一人で噴水のベンチまで行くことができ、眼もそこそこ見えるようになった今になって静かに過ごすと、やはり想いが次々と湧いてきます。身体が悪いことも歓迎すべき事ではありませんが、カネの為に醜い生き様を晒していることも気の毒な事です。

 

好んで醜い生き方をしているつもりの人は少数でしょう。「そうせざるを得ない」といった感じでしょうか。しかしそれも間違いなく自分で選択したのです。

 

美しい生き方をして豊かな人だっています。

どちらにせよ自分の自由意志でそうしているのです。

搾取からは金銭以外で恨みや憎しみしか生まれません。

生死の本質
2018年12月26日

生死の本質

今年も残すは数日です。思い返せば子供の頃からグレゴリオ暦に侵されて育った今の私たちは、皆がカレンダーに追い立てられて暮らしています。

 

ただ死に向けて忙しく日々を消化していた周りの皆を見て、私は中学生の頃から人間社会に対する底はかのない不安や不自然さを感じるようになりました。何を考えても「みんなどうして生きていたいのか?」という問題に行き着くのです。

 

それが高校生頃には「生きたいのではなく、死ぬのが怖いから避けているだけだ」との確信に変わっていました。

ただ死ぬのが怖いという理由だけで生命維持に努めているとは、何たる下等生物なんだ!笑

 

「少しでも人間を高等生物に近づけることができるはずだ」これを自分が生き続ける動機にして30年程が経過しました。近年は意識不明の重体になったり、大抵の事をするのが難しい身体になったりしても、まだしぶとく生きています。

 

暦で計られる時の謎や、存在するようでしない空間の不思議にも、自分なりにだいぶ理解が進みました。後は平均的な生活を送る皆に伝える術がどれだけあるかどうか?です。

 

とりわけ小脳を潰して全身の感覚を一度は失ってしまったことによる体験は貴重です。
私が倒れた日に生まれて共に乳児期を過ごした息子の存在はとても大きい。意識が戻って数ヶ月は糞尿を漏らしても気付かない私のマヌケさも、「ああ、コイツの今は俺と同じなんだ…」と、汚れたオムツをしたまま喜んで遊んだり飲み食いしている息子に妙に共感したものです!笑

 

死ぬということ、この世に出てくるということを、オッサンになってから再度経験させてもらったわけですからね。それがどういう事なのかを伝える術は多いと自負しています。

ご興味のある方、以降もお楽しみに~

幼児期の繊細さ
2018年12月16日

幼児期の繊細さ

小さな子供にとって、一瞬でも「自分が受け容れて貰えなかった」という事実は重大事件です。

 

他人の状況や気持ちに察しがつくようになれば学習してクリアできることですが、まだ自分のことだけしか考えていない時期は要注意です。

 

「自分は他人に拒まれた・無視された・関心を持たれなかった」…幼児期のそれ系の印象は、後々かなり引きずります。自己を肯定できるようになれないのです。

 

いい歳をして幼稚なのも厄介者だし実際に多いのですが、幼児期に周りがどう関わっていたのかによって幼稚な大人が養成されてしまいます。

 

写真は、息子が気まぐれで妻のそばに駆け寄ったら事務仕事を突然邪魔された妻の冷たい態度にひどく悲しんでいたので、私が事情を説明しているところです。「オマエのことを嫌っているわけではなくて、突然邪魔をしたオマエの問題なんだよ」ってな具合ですね。

 

良く納得できたようで安堵の表情です!笑

 

自分の欲求
2018年12月10日

自分の欲求

誰かが書いたり話したりしたことに対して「素晴らしい」とか「なるほど」と仮に思ったとして、その内容は書いたり話したりしているその人にとってのことです。

 

何をどうしたらよいのかは人によって万別ですし、同じ人でも時期によって異なります。

 

ですからその時に内から湧き出る自分の声じゃなければわかりません。私達夫婦がやっている瞑想セッションでは、その皆さんの隠された欲求を引き出すことから全てが始まります。

 

多くの皆さんは自分の欲求を隠したり誤魔化して生活しているのです。

 

お問い合わせは妻のホームページからでも遠慮なくどうぞ。

数のものがたり

誰への不平不満?
2018年11月29日

誰への不平不満?

私が10代からよく感じていたことがあります。常に評価を求めているような人は、基本「皆は私より優れているけど私は皆に比べて劣っている」という考えが根底にあります。

 

私の率直な意見を述べると、「この人に評価されるなんて残念だ… と思うことは多くあっても、無視されたりどんなにバカにされても気にも留めていない」という人だけが突出した結果を残す傾向にあると感じています。

 

自分のことを悪く言われても怒ることもないわけですから、決して傲慢ではありません。

我慢するわけじゃなくて自然と他人を嫌ったり恨んだりはしない平和主義ともなり、チヤホヤされても舞い上がる事もなく、むしろ謙虚なタイプだと思います。

 

だから、他人の事をとやかく言っている本人が、自分に対する不平不満をこぼしているようにしか見えなくなるのです。そんな人を相手にするのもばからしいですよね。

 

問題を起こしているのは他の誰でもありません。 
自分
自身の自己評価がほとんどなのです。