お知らせ

室内にいながら宇宙旅行
2017年04月28日

室内にいながら宇宙旅行

一昨日に開催しました【第7回・高次元波動体験会】も、会場ごと高次元に移行できたようでして、おかげさまで参加者の皆さんから感動や喜びの声をいただきました。ありがとうございます。

今これをお読みくださっている読者の皆さんも、学校の理科の授業で習った宇宙観や社会で習った人間観から脱することができないかぎり「いったい何の戯言をほざいているんだ?」となってしまうでしょうが(笑)、それでも重ねて申し上げましょう。宇宙や人の本質は物質的な要素ではないのです。

東京都心部にあるビルのワンフロアに、ごく普通に電車を乗り継いで集まってくださる参加者自身がそれを体験するのですから、疑いようのない事実なのです。今回も「自分が龍に乗っていた」「とても眩しい明るい光に照らされた」「銀河のような星雲を見た」「羽のある天使が複数いた」「宝の存在を示唆された」…等々、肉体は同室に居合わせているのに参加者それぞれが異なる世界に行って帰ってきました。打ち合わせでもしてあったかのように、一部内容がリンクしてくる人も必ず出てくるのです。主催である私は会場の様子も観察していますが、肉体が消えて無くなる人や眠り込んで戻ってこない人は誰も居ません。体調が良くなる人は毎回いますが、悪くなる人は決していません。

つまり、これは休んでいる肉体とは明らかに別の自分が活動しているということを意味します。非物質としての自分の存在を確信できる最大の利点は「必要以上に肉体死を怖れなくなる」ということでしょう。

人生を不安に感じる要因は、ほぼすべてが肉体死を怖れることからきているからです。それから「物理的な制約と見えるものを克服できる可能性があるのは当然のこと」といった考え方をするのが当たり前の人生となってくるわけです。「肉体をはじめ物質として存在することだけが、人や社会や宇宙を構成しているわけではない!」ということが、ご自身の体験から腑に落ちるのですから、そりゃそうですよね。

5/7野村節子さんの主催イベントでは、この辺のお話を詳しくする予定です。

次回で第8回となる【高次元波動体験会】は、また決まり次第おしらせいたします。お楽しみに。

生と死の意味
2017年04月24日

生と死の意味

先進国であろうと発展途上国であろうと、物質的な豊かさを求めて生きているほとんどの現代人はゴマカシ人生を送らされてきました。「それでも先進国と呼ぶのか?」というツッコミは別の機会にするとして、人生を晩年まで誤魔化すつもりで生まれてくる人はいないでしょう。物質界に生まれてくると親や先生など、既に人生を誤魔化して生きている人々に、大人と同じようなゴマカシ人生を送るよう強要されるのですから、子供にとってこればかりは致しかたありません。

このような内容の文章を書いていられる私は「人生に向き合ってはならない」という洗脳から逃れられたほうだったというわけですが、おかげで常に周りから疎まれる子供でした。社会人であった周りの大人たちは「死ぬとはこういうこと。よってこのように生きる」といった考えに向き合うことなく逃げ続けたゴマカシ人生を送っている…という自覚があるからこそ、私は困ったことを訊ねてくる子供だった(笑)。

養鶏所の鶏に大自然での本来の鶏の生き方を教えてもしょうがないし、現実的にその術もないでしょう。養鶏所の鶏は、人間に肉や卵を提供するためだけに生まれて成長させられ…それ以外に目的がないわけですから、子供にでもわかる理屈です。それが鶏でなくても、肉や卵ではなく乳でも内臓でも角でも毛でも皮でも、同じことです。

ところが、人間は死亡しても日本の場合なら骨の粉になるまで強火で焼かれるだけです。私は冠婚葬祭ビジネスが盛んな地域で育ちました。葬儀と結婚式を同じ会社が扱っているというインパクトも手伝って(笑)それらを生業にしている人々が存在していることもわかっていました。「毎日それを仕事にしている人もいるくらいなのに、人間の死というものをどうして大人は子供に語ろうとしないのか? それどころか、死に関心を示すだけでも大人が嫌がるのはナゼ…?」

中学生になってから気付いたこと。それは大人たちが隠していたわけではなかったのです。「知らない・答えられない」だけだったんですね(笑)。

今になって思えば、どんな大人も自分と同じくそこに疑問に感じていた時期はあったのでしょう。ただ疑問は疑問のまま放置しておいて、少なくとも現役時代はそこに触れずに誤魔化して生きている人が大多数であることが、良くも悪くも現代の経済社会を成立させているわけです。

同じく中学生になって新たに発見したことがありました。それは歴史や地理の資料を見ていてわかったことです。同じ家畜でも「犬・牛・馬・鳩・鷹・鵜」などは、人間が殺して食したり実用品として加工する目的以外でも、きちんと躾ければ生きてるだけで何かと役に立つ存在となる!という事実です。そこで俯瞰してみればわかること…

「とある存在」からしてみたら一般的な「人間」にもまさにそんな一面がある、ということです。中学生以降の自分にとっては、その「とある存在」が何なのかを突き止めたい!という欲求が最も人生を左右してきました。それが非物質世界探求へとつながってきているのです。

「陰謀論」というジャンル?があります。人間が馬や鷹を飼育することは、本来は自由に走ったり飛んだりできる馬や鷹にとって、はたして人間の陰謀に嵌ったということになるのか?…これは実に興味深い問題です。

犬をはじめとして人間に役立つことが生き甲斐であるかのように思える生物が、実際に存在します。それが人間であった場合でも「あなたは誰にも何の役にも立たなくてよいから、どうぞ好きなように生きてください」という状況が一生続いたとして「これこそが理想の人生だ!」と感じられる人はほぼいないでしょう。どれだけ物資に恵まれていたとしても、長く続くほどにかなり虚しくて辛い生活だと思うのです。

物質的な世のしくみをどんなに知ったところで、心の豊かさや幸せが付随してくるわけではありません。また非物質のしくみだけを探求したところで、肉体物質生活がすぐに向上するわけでもありません。非物質である意識存在でありながら物質肉体を有する人間にとって、どちらも重要なのです。

物質と非物質、双方の特性を上手く活かしたこれからの生き方を、臨死体験も通して得てきた私なりの人生論としてお伝えします。

 

霊的な力
2017年04月20日

霊的な力

「スゴ~イ。私、霊能力なんてまるでないんですよぉ」とか、あっさり言う人にかぎって日々が霊的な現象で溢れていたりするもの(笑)…当たり前すぎて、意識もしていないのですね。人とは、自分にはないものに憧れるのです。短距離でも長距離でも「走るのが苦手」なんて話ができている時点で、階段の昇降を含めて徒歩で移動できるだけの健康な足腰を備えているわけなのです。

よくある例ですと、「証拠はなくても、それが嘘だとわかる」「なんとなく、相手が隠し事をしている気がする」「なぜか、そうなるような予感がある」…等々。これらはいわば全部「霊能力」なのですね。一般的に女性のほうが発達しています。

唯物主義の現代社会は「万人に同じ結果をもたらす物理法則のみが真実である」という、私からしてみたらカルト宗教に毒された人々(笑)を中心に成り立っています。普通に「生霊」という言葉があるくらいですから、他界した人はもちろん肉体をもって暮らしていても、誰もが霊的な能力を発揮していたり影響を受けていることは火を見るよりも明らかなのです。

物質至上主義で言うところの「科学的根拠」などというものを示すことはできないが故、人間にとって本当に大切な事はほとんどがタブー視されていたり、闇に葬られているのです。そんなあって当然の非物質能力を、たとえ僅かであっても物質肉体である手足を動かすように活用できたのなら、現代人の悩みや苦しみの大半は消えてしまうでしょう。

重ねて言いますが、私が話しているのは「現代人の誰にでも普通に備わっている自然な非物質能力」のことです。これ見よがしな超能力・霊能力の事ではありません!決して他人を驚かせることが狙いではありません。本人も周りも穏やかに豊かになることで人生をより充実させることが目的。周りの人に詳しく説明しなければ「あの人最近ついてるよねぇ」と言われるくらいの非物質活用術です。短期的には単なる「ラッキー」で片付けられる範囲の変化であることがポイントなのです!(笑)。真剣な話、あまり急激な変化を求めた場合、必ず大きな弊害が出てしまいます。ラッキーは自分で創出できるのです!

「スピリチュアル」の誤解
2017年04月13日

「スピリチュアル」の誤解

もうすぐ4月も後半。ここ数週間は何が何だかわからないほど慌ただしかったという人でも、生活のリズムのようなものが見えてくる頃でしょう。新たな肩書きなり金銭報酬なりを得るため新生活をスタートした人の中には「こんなはずじゃなかった…本当にこれでよかったのだろうか?」といった想いが湧いてくることもある時期です。「名誉や金銭だけを求めて頑張っていても人生ダメなのではないか?」というような疑問が持ち上がって、俗に「スピリチュアル」と呼ばれているジャンルに興味を示すようになるのかもしれません。

実は私、だいぶ以前から「スピリチュアル」という言葉を使うことに大きな抵抗を感じている一人なのです。便宜上わざと使うこともありますが、できるだけ「非物質」とか「霊魂」などの言葉を選ぶようにしています。
 その最大の理由は、「スピリチュアル=現実的ではない」というようなニュアンスを込めて使われる場合も多い単語だからです。実際に、「スピリチュアル」という言葉を多様している人の話や文章に賛同して集まっている人々の様子を見ていると、物質的な現実生活から逃避している可能性も残念ながら否定できないのですよね。
 それ故に私は長年、霊的な事柄に最大の関心を寄せていながらも、誰にとっても現実的だと思える形でサポートできるような社会との接点の持ち方を模索してきました…「経営コンサルタント」ですとか(笑)…真剣にやってきました。しかしもう、そんな遠回しなことをしなくてもよいから直接的にメッセージを発信しよう!と決心しまして、近年はこんなスタイルなのです。

私が再三お伝えしている通り、人の本質は非物質です。すなわち「万人がスピリチュアルな存在」なのであり、それが確固たる現実。全く例外はありません。仮にこれを読んで懐疑的な人であっても、肉体死を迎える時にはそれを知ることとなります。その時が来月なのか来年なのか数十年先なのか…時期に個人差があるだけでいずれにしてもそんなに遠い未来の話ではありませんし、肉体で感じているその「時間」でさえもスピリットには無関係なようである… これも以前からお伝えしていること。

本来の「スピリチュアル」とは、逃避でもまやかしでもなく、とても現実的で日常的な意味合いの言葉なのです。しかし、それと同時に物質である「肉体」を維持するためにも生活しているのが「人間」なのです。どちらともガチな現実!(笑)

逆の見方をしましょう。有名無名にかかわらず、大きな仕事を遂行できる人は皆「スピリチュアル」な法則を熟知していて、その特性を巧く活かしているということです。そんな事をおくびにも出さない人がほとんどですし、本当にその自覚がない人も大勢います。つまり、どこの誰から何を教わるでもなく「スピリチュアルな生き方」を実践し続けている人が、今でこそ少数派ですが常にいるということです。

数百年前でしたら地球上のほとんどがそういう人であったと私は感じています。

ですから私は皆さんに何も特別な事をお伝えしているつもりは毛頭ございません。
当たり前な事を当たり前に感じて生きてみませんか?とオススメしているだけです。

ハッキリと分かれているわけではない
2017年04月06日

ハッキリと分かれているわけではない

新生活が始まった人にも昨年と何も変わらないと思っている人にも季節は廻って、桜が咲く新年度に入りましたね。
 時空制約のある物質世界で暮らしていながらも「時間」とは、あってないようなもの。時は絶対的なものだとして時計や暦を用いて生活している我々ですが、一年前がつい先日のことのようだったり遠い過去のようだったり感じるのです。
 「空間」についての話をするのならば、ものすごく遠い世界だと思っていたはずが、気付けば日常的に苦もなく移動している範囲になっていたり、いつもは何気なく通っている場所がある日、途轍もなく遠い感じがするわけです。

絶対不変だとされている事がいかようにも感じられる、これはいったいどういう事なのでしょう?

それは「時間や空間とは絶対的なものではない」からです。「物質がすべてである」としている家庭や学校と呼ばれるところで「絶対的なものである」とすり込まれただけなのです。実際に、すり込まれる前のみなさんならば過去を悔やんだり未来を心配することはなかったはずです。本来の人間は他の生物と同様に常に今を生きていたのです。失敗も成功も、幸も不幸も、始まりも終わりもない、ただ変化する…それこそが絶対的な命なのです。 

逆に考えてみましょう。悔やんでいる過去や憂いている未来がありますか? 言い方を替えるならば「ああしとけばよかった」とか「できることならこうしたい」といった事柄です。それらは「今どうこうすることはできないから」というのが、みなさんにすり込まれた常識です。
 ところが、そんな過去もかつては「今」でしたし、そうありたい未来も必ず「今」となるのです。時間は絶対的な一方通行なのではなくて自由度の高いものだとしたら、過去も未来も全部「今」だということです。巷にある願望実現系セオリーの多くはこの性質の一部分を誇大に表現したものですが、時間と空間はセットになっているため、一部の特性だけを活かそうとしてもバランスが崩れてしまい、他の部分での弊害が起きやすいのです。

そこで私は「物質」に対して「非物質」という区分けをしているのです。しかしそれは便宜上であって、人間は物質の肉体であるかのような錯覚に陥りながらも誰もが非物質の意識をもつ、いわば「半物質」の存在です。可変幅が人によって大きく異なるのです。肉体を有しながら完全な非物質としての特性を活かす人が現在でも一部いて(それが標準の文明もある)昨今はそんな人たちが少数派なため「異常者・特殊能力者・霊能者」などと呼ばれてしまうのです。本来はそれが普通なのですが…(笑)

私は元々書物などの情報にあたるだけでなく、自分の変性意識状態(瞑想・夢)を活用して非物質世界の探求をしていたところ、たまたま臨死体験のように濃厚な異次元体験もが加わったのです。故に実体験として、人や宇宙の本質が非物質であることを確信を持ってお伝えしているのですが、やはり日常生活における「物質と非物質のブレンド具合」とでも言いましょうか…その境界が不明瞭なだけでなく、そもそも人によってまちまちなため、画一的にお伝えする事にはどうしても限界があるのです。ですから私は個別にお伝えすることを重要視しているのですが、不特定多数のみなさんにお話をする場合でも、極力、個別の解釈が可能な融通の利く言葉を選んで語るようにしています。

原始人
2017年03月31日

原始人

みなさんは「原始人」と聞いて何をイメージしますか?

誰でも、10歳頃までにすり込まれてしまったイメージを未だに持ち続けているのが普通でしょう。先生、親、大人たちの話や作品や資料などから仕入れる情報を逐一疑うような子供がいたのなら、それはそれで大変ですね(笑)。みなさんは素直に信じられる子供でしたでしょうか。

おそらく、一般的には「原始人=まだ物質的に不便な暮らしを強いられている未開の人々」的なイメージが抱かれているのでしょう。「物が溢れて便利になること」が文明の進化だと定義している現代人ならば、当然の考えですよね。

歴史についてでも、宇宙に関してでも、私たちは教えてもらったのではなく「すり込まれてしまった」という表現を使うのが妥当なのです。なぜなら「原始時代の記憶を明確に有している」とか「今回の人生で、その時代に行って確認してきた」という人の情報が元になっているわけではなく、現在は権威あるとされている(後年には悪く言われているであろう)有名人の憶測だったり、遺された物的証拠からの推測に依存しているだけだからです。

このサイトの読者なら、もう「物的証拠」という言葉にヒントがあることにお気付きでしょう。
そうなのです。非物質的に発達していれば当然、物質的にはシンプルとなるのです。
完全な非物質生命体ならば、恣意的に何かを残さないかぎり物的証拠はゼロとなります。その場合は、昨年も説明した通り「時代・場所」といった概念すらないので、このような話自体が成立しない世界なのですが…

近年、常に戦争のために開発されてきた諸々の最先端テクノロジー。仮に我々現代人の誰もが瞬間移動や重力制御ができ、テレパシーや遠隔念動力が当たり前だとしたら、今あるコンピューターやマシン類のインフラ全てが無用の長物です。そもそも、大量生産大量消費を促すための金儲けを目的に破壊的愚行を繰り返すこともないでしょう。

物質肉体があっても希薄、もしくは完全非物質の生命体からしてみれば、波動の粗雑な「物質」ばかりを探求している現在主流の人々こそが「原始人」なのです!(笑)。しかしその反動なのか、電子データという名の非物質が今の社会に凄い勢いで台頭してきているのです。みなさん自覚のないまま…なのかもしれませんが、ここ10年程で社会がかなり非物質化しているのです。これが投稿されているしくみが、まさにそれなんですよね。物質主義を謳歌したまま変化できない人間は化石となってしまう時代に突入したのでしょうか!?

気分が落ち込む理由
2017年03月28日

気分が落ち込む理由

普段から寡黙な人でも、常に元気で明るい印象の人でも、そのそぶりを他人に見せるか見せないかというだけの問題で、生きていれば気分の沈むことはあります。では「気分が落ち込む」とはどういうことなのでしょう。

毎回繰り返しのメッセージになります。物質でもある肉体人間ですが、非物質のエネルギー(霊魂)が人の本質です。それぞれが求める性質についての違いを簡単に述べるならば、肉体は「自我(エゴ)」なのに対して非物質は「慈悲(利他)」というような表現になりますでしょうか。これが、物質としての種の保存を試みる肉体生物でもありながら非物質エネルギーでもある、地上人間の営みの難しさであり醍醐味でもあるのです。

物質文明に生きる人間には、それが妥当かどうかは別としまして「生き残るためには自分以外の存在から奪う・殺す・騙す・利用する・壊滅させる等の行為はやむを得ない。積極的にではないにせよ、生きて行く限りは万人がそのような事柄と無関係ではいられない」という考えがあります。

一方で、非物質エネルギーとしては「分かち合う・与える・楽しませる・喜ばせる・助ける・美を愛でる・寛大である・醜い生き方を避ける」等の欲求があります。まずは自分の肉体欲求の満喫なり制御なりを経てからでしょうが、それらが自分の喜びでもあるという感性を、綺麗ごとではなくて本当に皆が心の奥底では持っています。

 つまり、現代人は常に二律背反する欲求を抱えているため、社会の在り方や人間の生き方が矛盾に満ちている!というのは誰もが感ずるところであり、仮にどちらかを充たそうとすれば、それが充たされた場合でももう片方の欲求が踏みにじられることになるのです。

よくある例ですと、子供時代に貧乏だったのをバネに、成長にするつれて「アイツは守銭奴だ」などと陰口を言われ続けても、めげずに努力して金銭的には報われたとします。ところが、表面的には派手な人間関係を築いて物質的にどれだけ豪華な暮らしをしようとも、心は充たされない。そんな虚しさを埋めようと、酒や薬物やセックスに依存するようになる…。
逆パターンでは、若気の至りでカッコイイと思って「俺は金儲けのために魂を売ったりはしない」とか豪語していたのがアダとなり、寝床や食事にどうやってありつけるのか?という日々だけを重ね続け、人生を楽しむどころか心のゆとりのカケラもない毎日を送っている…。

その善し悪しを言いたいのではありません。どんな選択をするのも各人の自由ですし「それしか選択の余地がなかった」と主張する人もいるでしょう。私自身も今生はその両極端とまでは言いませんが、かなり振り幅の大きい実験的な人生を送ってきました。どちらも物質界で肉を持つが故に起きる現象です。

それらは経験することに意味があるのであって、結論、どちらが正しいのでも間違いでもないのです。善悪や正誤とされる主流価値観が時代や場所によって変わって行くだけです。その時代や地域の価値観に迎合しようが反発しようが脱出しようが無視しようが(笑)、全てが肉体を持って生きるバリエーションの中の一つなのです。

大量殺戮に大きく貢献した人が称賛される事もあり、虫一匹殺せない人が冤罪で極刑に処される事もある。それが人間社会なのです。こんなゲームは「ヒトや宇宙は物質でしかない」という認識の元に非物質世界を蔑ろにするからこそ成立している…私はそう思うのです。物質肉体次元を卒業してしまったらとても叶わない、次元のいくつも重なった複雑で濃密なしくみ。だから謎だらけの壮大なゲームなのですが、ルールは意外とシンプルだったりするのです。

やればできる
2017年03月19日

やればできる

年度の替わるこの時期、別れを惜しんだり出会いに胸躍らせたりと、泣いたり笑ったり忙しくされている方も多いことでしょう。
安定安心を最良だとして暮らしている人にとって、習慣化された既知に決別することは勇気の要ることであり、予想もつかない未知を思い煩うことなく次のステージに向かって積極的に歩を進める!なんて、自分にはハードルが高い…とか弱気になったりもする時期ですよね。
単なる取り越し苦労だったと思える時がすぐに訪れれば笑って済まされますが、実際に日々が「苦しい・辛い・痛い」と感じる状況に陥ってしまった場合、そうなってから「気にするな」「前向きに考えろ」「がんばれ」などと周りにアドバイスをもらったところで、「それができれば苦労しない」というのが多くの場合の実態。やはり誰であっても、何がきっかけであろうと、一度穴に落ちてから抜け出すということは至難の業となってしまうのです。

ではどうすればよいのか?というと、落とし穴を察する力を身に付ければよい、となりますね。誰がどの道を選択しようとも、人生どこかしらには穴が開いているものです。やたらと疑い深くなったり異常に慎重になったりでは、むしろ前進できなくなってしまいますから、そこは勘違いしないで欲しいのですが、スラスラと進んでいるようでも実は一歩一歩を着実に踏みしめていれば「何かがおかしい」とすぐに気付くようになるのです。「鼻がきくようになる」と言ってもよいでしょう。つまりそれは同時に、隠された宝にも気付きやすくなるということです。

宝を見過ごしたり落とし穴に嵌ってしまう原因は、結局「浮き足立っている」からなのです。それを上回る愚かな行為で「墓穴を掘る」というものもあります。世の中には、自分が落ちる穴をご丁寧に自らわざわざ掘っている人が少なからずいるのです(笑)。笑っちゃいけないのでしょうが、着実に進む他はないところを一足飛びでどうこうしてやろう、と画策するが故に招く事態なのですね。

昨夏、私が肉体死の淵から何故か抜け出してきて7ヶ月が経ちました。小脳損傷による寝たきりで病衣の着脱すらできなかった容態でも「まだ生きるのなら、せめて歩いて話して文字を書けるところまでは戻そう!」と勝手に決めたのですが、そうなる近道はありません。
身体を起こしてもらって車椅子に移っても数分でギブアップしていた時期。飲み込みや喋りができるようになった時期。車椅子から無理して立って転倒して大騒ぎとなっていた時期。トイレで用が足せるようになった時期。少しだけ歩けるようになった時期。手すりに捕まれば階段をゆっくり昇れるようになった時期。最近では激遅ですが降りれるようにもなりました。自分が他界しそうだった日に生まれた息子には、毎日話しかけて赤ちゃんと一緒に舌や口を動かして発声訓練をする(笑)。その甲斐あって滑舌はだいぶよくなりました。まるで泥酔したかのように歪む視界と、しびれる指で打つワープロ。タイプミスだらけなのを後から修正するので何時間もかかりますが、現にこれだけ入力できています。半年前はビー玉とおはじきの形状分別すらつかない皮膚感覚で、医療従事者の皆さんにはかなり厳しい推測をされていた…。

やればできる。それは「今できること」を「やる」ことの積み重ねです。今できない何かが突然できるようになる、とは考えないことです。また、まさにその通り「突然できるようにはならないから」という理由で、簡単に諦めて投げてしまわないことです。
奇跡や幸運を祈っているだけではそれは起きませんが、着実に行動している人のところには偶然やラッキーが起こって当たり前になります。そこには非物質の力が明確にはたらくからです。私は、そのメカニズムをあらゆる立場の人にいろんな形でお伝えしています。その本質は、相手によって伝え方を変えなければ伝わらないからです。人間にはそれぞれ、受け入れることのできる話の種類や範囲というものが、その時々で必ずあるからです。

波動の違い
2017年03月14日

波動の違い

人とは、多重構造をしています。便宜上、図形やグラフで表すこともありますが、「氷・水・蒸気の違いを、それを知らない人にも一目瞭然の形で示してください」となれば難しいように、「肉体」という物質と「霊魂」などと呼ばれる非物質の違いだけならまだしも、例えばアストラル体・エーテル体・コーザル体などという単語を使って非物質の多重性を説明したところでイメージするものは各々で異なるでしょうし、形状など存在しないにもかかわらず、実際にはまだまだ精妙な方向へと重なりは続いているのです。

 ですから私は「肉体は最も粗い波動の形態であって、そこから精妙な波動に向かって連なる非物質の状態こそが人の本質である」というような表現で皆さんにお伝えしていますが、受験のように「この状態の名称を答えよ」などというのはナンセンスの極みである(笑)と考えています。

 確かに動物としての人間は物質肉体のスペックで決まる部分があります。喰われずに喰い続けて生き残れるのか、異性の気を引いて種の保存に携われるのか…。しかし人生や社会の「質」となると、非物質の要素が大きくなってきます。故にどれだけ弱者から貪り続けて強大化しても、数えきれないほどの相手と性的欲求を充たしても、それだけで「充実した人生である」とか「社会に貢献できている」などとは誰も感じないわけです。

 それだけ大切なことなのにもかかわらず、多くの人が自覚できていない「非物質の自分自身」というものを、積極的に感じる機会を設けて人生のヒントを得ましょう!との趣旨で開催しているイベントが【高次元波動体験会】なのです。

 

 第7回 高次元波動体験会 4/26(水)開催決定!

次回で7回目となる【高次元波動体験会】は、「週末や夕方に掛かるとどうしても参加できないので…」との強い要望に応えて、平日の昼に開催いたします。

 これまでは、異次元体験と情報解説シェアのひと続きを2セットというプログラムでしたが、次回は1セットにして総時間を短縮、料金もお手頃に、これまで興味はあっても躊躇していたという方でも参加しやすい形態に変更しました。その分1セットを深く丁寧に掘り下げますので、過去の6回と比べても体験や情報の質が劣ることはありません。前回と同じく、ゲスト奏者「野村節子」さんの演奏するクリスタルボウルの波動に身を委ねて、参加者各自に異次元旅行をご堪能いただきます。

 「どういうイベントなのか、それでもまだよくわからない」という方のために更にくだけた説明をするなら、『心地よい音(周波数)の誘導によって短時間で皆さん同時に夢を見ていただき、各々の夢を分析することで、それぞれが得た情報を共有する』みたいな集いでしょうか…。周りの人の非物質体験と自分の非物質体験が互いに刺激し合い、周りが発表する内容に自分が解読したい情報が含まれているため、相乗効果がとても大きいわけです。

 明らかな感動体験をされる方もいらっしゃれば、特別な意味はない単なる夢として片付けられてしまうような内容に、重要な意味が込められている場合もよくあり、私がその解説をいたします。「この夢のような体験は隠しておきたい…」との理由で発言しないでいるのも、もちろん自由ですよ!(笑)。

 第7回【高次元波動体験会】
日時:4/26(水)12:00~15:00(受付11:30~)
場所:アトムCSタワー7F  https://www.atomlt.com/cstower/access/
料金:¥3,000(当日受付にて)
予約:knowinginnovation@gmail.com  
  会場セッテイングの都合上、人数を把握しておく必要があるため、
  こちらからの案内文が返信可能なアドレスからお申し込みください。
  下部「問い合わせ」クリックでも大丈夫です。(質問も大歓迎)
  

3/4(土)高次元波動体験会レポート
2017年03月05日

3/4(土)高次元波動体験会レポート

昨日3/4に開催された【第6回・高次元波動体験会】は、おかげさまでディープかつ楽しい集いとなりました。会場関係者のみなさん、お集まりくださったみなさん、誠にありがとうございました。

野村節子さんのクリスタルボウル演奏の波動に浸ることで肉体をリラックスさせた参加者各々が、高次元波動で包まれている間に非物質状態で体験したことを発表してもらう。その内容を受けて石井が解説を試みたり、疑問に思った事を質疑応答形式でみんなでシェアする…そんな2時間×2セット。4時間もあっという間の充実のひとときでした。

体験をしてもらうためにはもちろん、それを語っていただくためにも、とにかくリラックスが大切。せっかくお越しいただいても、緊張していては深い体験を得そこなったり発言しそびれてしまいますから、笑いをふんだんに交えての和やかな雰囲気で、見事に全参加者の感想を互いに聴くことができました。まだまだ参加者各々の謎解きは続くでしょうから、日々の生活に張り合いや楽しみが生じてくることでしょう。

毎回そうですが、目を閉じているのに「龍・蛇・星・銀河・特定の色や幾何学的図形・正体不明の謎の生物」などを見る人が多く、共通したものを認識する要因を一緒に探るプロセスも楽しいものです。今回は、流れていないはずの「人の声による歌唱」を聴き取った方も多かったですね(笑)。次回の第7回も、日程が決まり次第告知したいと思います。

石井も、有意義な時間をみなさんと共に過ごせた事がとても嬉しいです。まだ面識のない方でも、下部をクリックして遠慮なくお問い合わせください。