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自分教信者
2017年12月09日

自分教信者

突如年単位の休暇ができたとして、その間も過去の同期間以上の収入があるとしたらどうしますか?

ばからしく聞こえてしまうため露骨に答える人はあまりいないでしょうが、結果的には「暇を潰すために散財し、預貯金(借金)を気にしながら過ごす」となってしまう方が最も多いはずです。

笑い事ではなく実際そのような方が世の中には常に一定比率で存在していて、その人たちがお金を増やそうと時間を潰してかえってお金を巻き上げられるようなしくみが社会のあらゆる箇所で機能しています。それはそれで、ケチで強欲な人ほど大金を寄付することとなるためバランスがとれているのかもしれません。

善し悪しは抜きで、これらの方々のおかげで日本経済は発展してきたのでしょう。どういう意味かと言いますと「暇すぎて時間をもて余すくらいなら、まだ働いていた方がよい」という人々に支えられて組織が繁栄してきたのは事実だからです。「企業戦士」などという宗教信者のような思想が普及して、憧れの組織に入信した末の過労死が美化されるような社会風潮まであったのです。

政治や宗教にのめりこむのは表向きNGとなった戦後でも、カネの為なら命を削って当然・・・ほとんどの地球人を「金銭教」の熱心な信者とすることに成功したのです。

ところが「ブラック企業」等の言葉が一般化するような今の世の中では、「カネと名誉のためなら何でも犠牲にする」といった金銭信者は減る一方です。次は何信者の時代でしょうか…

私は「自分信者」の時代に既に入ったと考えるのです。自分を信じることでもあります。

そこで重要なのは自分の定義です。鏡に映る物質の肉体が自分なのではありません。それは自分自身のほんの一部です。人間の本質は見えないし触れることもできない非物質存在です。

非物質の本当のあなたは、この物質世界の中を時間と空間の制約だらけで生きている肉体…そんな限定された存在ではありません。

既存の名詞を使うのなら、自分自身とは大人でもあり、子供でもあり、でもあり、でもあり、地球人でもあり、地球に縛られない未知の生命体でもあり、他人でもあり、死人でもあり、神や仏でもあります。

自分を大切にしている人は、他人も死人も神仏も、万物を大切にしていることになります。
誰かを軽蔑できるのは、自分を蔑視しているからこそです。
見える物も見えないものも例外なく全てが自分自身の一部、誰にしてみても自分=宇宙なのです。

「愛」という単語はだいぶ歪曲された使われ方をしていますが、本来そういうことを表す単語だと私は思うのです。すると「愛こそがすべて」という言葉の意味が通じます。愛=宇宙であるのです。

そのことをもっと理解してささやかでも伝え続けることができるよう、私はまだこの物質世界でも不便な身体を維持できるよう努めています。そして皆さんもきっとそうなのでしょう。

性愛や執着ではない「愛」を理解して実践することが人生の究極の目的だと思うのです。