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群れることの害悪
2017年07月27日

群れることの害悪

政治とかの話ではなく、皆さんは自分が多数派だというだけで少数派を無視したり軽視しているようなところはないでしょうか。

歩行者や自転車でのすれ違いの際、誰でも一対一でしたらお互いを配慮して難を感じることは滅多にありません。ところが相手が横並びで複数いる場合、人数が多いほど迷惑な状態を維持したまま近付いてきて、すれ違いが困難になる傾向があるのです。 近頃それを強く感じる理由が、今の私は歩行訓練を数日さぼっただけで身体が固まって歩くこともできなくなるため、ほぼ毎日1~2時間は歩く練習をしているからです。

重心移動などの半年以上の訓練が効いたらしく、私がゆっくり歩く姿を見られても、まさか身体が不自由であるとは思われないフォームになっています。でも実際は急に止まれませんしもちろん速く動けませんし方向転換も少しずつしかできません。視界も少しは良化しましたが常に乱れていますから、一歩家を出ればどこでもスリル満点のアトラクション状態。いとも簡単に転べても、受け身は取れず怪我は必至!(笑)

私の身体のことはさておき、道路通行に関することだけでなくて全てにあてはまることだと思うのです。その集団を構成している個々人が元々配慮に欠けた人物で、公共の場で常に迷惑行為をしているわけではないでしょう。集団となった時点でモラルや思考力が低下しているのだと私は考えます。

それが個人だと問題視されることでも自分が人数の多い側(法人でも)だと自分を含む集団の皆が傍若無人に振舞ってしまう…人間の不思議さですよね!などと語り出すと政治的な話となりますから(笑)。

皆さんも感じていることでしょうが人間同士のネットワークやコミュニケーションは生きて行くために必須ですし、複数人でのチームで何かをすることは大変でもあるが楽しくもあり、単独では成し遂げないことを実現させる、まさに人生の醍醐味であると私も考えています。

ただ「いかに集団組織に属さずにつながって生きて行けるのか」を皆がもっと真剣に考えて実践したならば、世の中のしくみは大きく変わります。いや、いろんな意味でその必要があって実際すでにそうなりはじめているということですね。

集団組織とは結局「重大な決定を能動的に自分がしなくてもよい」という依存傾向のある人々がどうしても集まってしまうものだと思うのです、つまり責任を取りたくない人。そのシステムに組み込まれている人たちに「世の中をどうこうしてほしい」などと期待するのはナンセンスでしょう…むしろ一番遠い所にいる人たちです!(笑)

特別立派なことである必要は何もないのですから、誰かにしてもらうことは考えないで自らができ得ることを皆がすればよいことです。そのときに、充分でき得ることを「そんなこと自分にはできない!」と決め付けている人が多いのは事実です。

その枷が外れるときが「人生の転機」と呼ばれているのです。

そして、その気になれば人生の転機はいつでも身近に存在しているのです。