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やればできる
2017年03月19日

やればできる

年度の替わるこの時期、別れを惜しんだり出会いに胸躍らせたりと、泣いたり笑ったり忙しくされている方も多いことでしょう。
安定安心を最良だとして暮らしている人にとって、習慣化された既知に決別することは勇気の要ることであり、予想もつかない未知を思い煩うことなく次のステージに向かって積極的に歩を進める!なんて、自分にはハードルが高い…とか弱気になったりもする時期ですよね。
単なる取り越し苦労だったと思える時がすぐに訪れれば笑って済まされますが、実際に日々が「苦しい・辛い・痛い」と感じる状況に陥ってしまった場合、そうなってから「気にするな」「前向きに考えろ」「がんばれ」などと周りにアドバイスをもらったところで、「それができれば苦労しない」というのが多くの場合の実態。やはり誰であっても、何がきっかけであろうと、一度穴に落ちてから抜け出すということは至難の業となってしまうのです。

ではどうすればよいのか?というと、落とし穴を察する力を身に付ければよい、となりますね。誰がどの道を選択しようとも、人生どこかしらには穴が開いているものです。やたらと疑い深くなったり異常に慎重になったりでは、むしろ前進できなくなってしまいますから、そこは勘違いしないで欲しいのですが、スラスラと進んでいるようでも実は一歩一歩を着実に踏みしめていれば「何かがおかしい」とすぐに気付くようになるのです。「鼻がきくようになる」と言ってもよいでしょう。つまりそれは同時に、隠された宝にも気付きやすくなるということです。

宝を見過ごしたり落とし穴に嵌ってしまう原因は、結局「浮き足立っている」からなのです。それを上回る愚かな行為で「墓穴を掘る」というものもあります。世の中には、自分が落ちる穴をご丁寧に自らわざわざ掘っている人が少なからずいるのです(笑)。笑っちゃいけないのでしょうが、着実に進む他はないところを一足飛びでどうこうしてやろう、と画策するが故に招く事態なのですね。

昨夏、私が肉体死の淵から何故か抜け出してきて7ヶ月が経ちました。小脳損傷による寝たきりで病衣の着脱すらできなかった容態でも「まだ生きるのなら、せめて歩いて話して文字を書けるところまでは戻そう!」と勝手に決めたのですが、そうなる近道はありません。
身体を起こしてもらって車椅子に移っても数分でギブアップしていた時期。飲み込みや喋りができるようになった時期。車椅子から無理して立って転倒して大騒ぎとなっていた時期。トイレで用が足せるようになった時期。少しだけ歩けるようになった時期。手すりに捕まれば階段をゆっくり昇れるようになった時期。最近では激遅ですが降りれるようにもなりました。自分が他界しそうだった日に生まれた息子には、毎日話しかけて赤ちゃんと一緒に舌や口を動かして発声訓練をする(笑)。その甲斐あって滑舌はだいぶよくなりました。まるで泥酔したかのように歪む視界と、しびれる指で打つワープロ。タイプミスだらけなのを後から修正するので何時間もかかりますが、現にこれだけ入力できています。半年前はビー玉とおはじきの形状分別すらつかない皮膚感覚で、医療従事者の皆さんにはかなり厳しい推測をされていた…。

やればできる。それは「今できること」を「やる」ことの積み重ねです。今できない何かが突然できるようになる、とは考えないことです。また、まさにその通り「突然できるようにはならないから」という理由で、簡単に諦めて投げてしまわないことです。
奇跡や幸運を祈っているだけではそれは起きませんが、着実に行動している人のところには偶然やラッキーが起こって当たり前になります。そこには非物質の力が明確にはたらくからです。私は、そのメカニズムをあらゆる立場の人にいろんな形でお伝えしています。その本質は、相手によって伝え方を変えなければ伝わらないからです。人間にはそれぞれ、受け入れることのできる話の種類や範囲というものが、その時々で必ずあるからです。