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すべては非物質の波動
2017年02月24日

すべては非物質の波動

人間の身体に過度の負荷がかかると、意図せずとも気付くことがあります。それは「肉体は時空に縛られていても意識体は常に自由である」ということです。戦争、事故、病気等で肉体生命維持の極限状態に達した多くの人がそんな意識体の自由度を認識するわけですが、そのまま肉体死へと移行するのが普通なので、その状態について説明がなされることは稀です。また投薬や手術など、自然の摂理に反した医療処置をされるのが一般的な昨今では、意識体もが最期まで縛り付けられた状態にあるのが標準なのかもしれません。

でも実は、そのような極限状態にまで至らなくても意識体は自由になれますし、肉体負荷を比較的少なくそれらを体験する方法として昔から瞑想やヨガなどがあるのです。しかしそれらが肉体を苛める手法を採らないからといって、意識体の自由を習得するのが容易なわけではありません。何でもそうですがコツや継続が必要、やはり本当に体得する人は稀なのです。だから現在でも「修験道」のような肉体酷使のアプローチも有効だとされるわけです。

意識体の活性化について自分なりに長年探究してきた私は昨年、まったく自慢にはなりませんが脳幹出血による肉体維持ギリギリ体験をしました。意識が戻ってからは後遺症の肉体的不具合と付き合う日々です。現在、仮に意識体と肉体が完全リンクしていたなら何もかもが苦痛でしかなく、肉体死を迎えるのが絶対的な楽しみとなるでしょう。車椅子からは卒業し、のそのそ歩けるようにはなりましたが、数時間も同じ姿勢を固定するとちょっとの移動だけでも全身に激痛が走るので、家では無意識で毎日「ウゥ…イタッ!イタイ~!!」などと口走っていました。すると、倒れたその日に誕生した息子がずっとそれを聴いていたらしく、最近大声で発する日本語らしき言葉が「ウゥゥ~イタイタイタイタ…」とかだったので(爆笑!)切なくなった私は慌てて「ワ~オ!イェ~イ!」などと周りを驚かせない語句に言い換えて悶えています。

つまり、苦痛を笑いに変えるユーモアを以前にも益して身に付けざるを得ないのです。その考え方は人にもよるのでしょうが、居合わせる人と共に波動を明るく軽妙にしたい欲求がより強くなるわけです。いつでも瞬時に深刻になれる状況なので、怒り、攻撃、悲しみ、罪悪感、被害者意識などの重くて暗い波動を取り込む余地は微塵もありません…即、破滅につながってしまうからです。

確実に誰もが順番で迎える肉体死について、人の本質である霊魂について、語るのをタブー視すること自体が異常なのです。それは人が物質であるとの社会的妄信から生まれた、時代と地域限定の特殊な常識です。肉体物質環境がどうであろうとも、自他の意識体を決して陥れないこと。他人を蔑ろにできる人は自分を蔑ろにしている人です。物質肉体人生もすべては非物質の波動次第なのです。きっかけとなる、そのコツをお伝えしています。