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能動的に生きる
2017年01月02日

能動的に生きる

さあ、みなさん、陽気の穏やかな新年を迎えましたね。私は先ほど日課のリハビリで合計2時間程の散歩。写真はその時の世田谷公園の様子です。

去年お伝えした、私の瀕死状態から得られた重要メッセージ。「人は物質の肉体であると同時に非物質の意識体である」ということはもうわかったから!という方のためにも、今年から、人の本質である意識体の特性をどのようにして肉体生活に取り込んで実践すればよいのかについて伝えて行きます。本日は、さっき写真にある噴水を眺めていて湧いてきたホヤホヤの内容をお届けします。

時間とは、意識が物質次元に閉じ込められているが故に直線的に流れていると感じるだけで、非物質である本来の意識体にとっては時の経過という概念は存在しない…これは昨年も説明しましたよね。
論より証拠を求めるなら、特に子供の頃は時間概念を忘れてしまうほど夢中になれたことがあったり、大人になった今でも、睡眠をとっている間は時の経過という概念から外れている意識体の状態であるはずです。
では、どうして現代社会には「忙しい」「時間がない」等の言葉を口癖のように発する人が多いのでしょう?

意識体は時間や空間に縛られず、能動的で自由です。それに対して肉体は、昨年説明した通りある意味マシンであり、肉体マシンは受動的にしか動かないことになります。当たり前ですがマシンが創作活動をすることはなく、プログラムがなければ仕事をしません。ですから現代社会には教育システムが組まれているのであり、そこに疑問を感じることなく落ちこぼれることもなければ、優秀なマシンとして各々の組織に好都合な社会人プログラムに書き換えられます。こんな仕組みにすっかり飼い慣らされている人が「常識的な人」とされているのが現代です。つまり、創造性を自由に発揮する能動的な人が増えたら成り立たなくなってしまうのが今の社会のしくみです。そして実際に崩壊が始まっています。

本題に入りますと、指示を受けて動く肉体(物質)としての性質が大きな割合を占めるような生き方をしている大多数の人々は、そうしなければならない(と思い込んでいる)事柄にいつも追われています。それはそうでしょう。「命令は既に遂行したので、何もせずに次の指示を待ちます」などというマシンは非生産的だとみなされますから、常に「させられている」「しなければならない」諸事に優先順位をおくようにプログラムされていて、自分が何を望むかなんて考えたこともない…というくらい能動性を失っている人だって少なくありません。

でも実は優先順位の低い無駄な時間などありません。時間に限らず「失う」というのは錯覚なのです。物質肉体を有していない意識体の状態、つまり生まれる前と死後ならば、失うものは何もなくて当然です。所有や喪失という概念も、物質次元に閉じ込められた状況に特有のものなんですね。
肉体死を待たずとも、肉体人間として生きながらこれら異次元の気づきを得て行くことが、創造的で自由な人生を送る秘訣なのです。誰もがそんな能動的な人生を送ることのできる物質社会の実現に向け、現代地球人の意識変革をもう少し手伝おうと、脱ぎ捨てたかと思われた肉体に再び戻ってきた物好きな私(笑)

時の経過が錯覚ならば、なるほど確かに、何かを始めるのに早すぎるも遅すぎるもないわけです。
したい何かがあってもできない言い訳「時間がない」というセリフが「時の経過は錯覚である」という文字通りの意味ならば、つまり時間が無尽蔵にあるならば、いったいあなたは何をどうしますか?
正解も不正解もありませんが、そこにそれぞれの人生の能動性が顕れてくるのです。