お知らせ

2019年3月
誰も避けられない肉体死
2019年03月29日

誰も避けられない肉体死

今日、退院後の経緯を検査するために病院に行ってきました。

 

一週間以上入院する不便さを考えたら月に数日病院で時間が潰れることもそんなに苦になりません。シラフでもフラフラして徐々に歩けなくなった主要因である血液中の健常者には必要不可欠の要素も複数の対策で人並みに回復していることが確認され、ゆっくりでも歩けるように今はなっていて、まだしばらくは生きて行けそうです(笑)。実に絶妙なバランスで生きているのが人間なわけですが、今度また内蔵の暴走で何が不足して何が過剰になるのかも見当がつかないのです。しかし気にしていても仕方ありません。定期的に検査したり突如体調不良に襲われて否応無く発覚するでしょうから、気楽に構えておきます。元々長生きしたくもないのですから!笑

 

死を怖れることと同じ問題です。どんなに心配しても人は死ぬ時には必ず死にます。それで死なないのなら気にかける価値もありますが、産まれて生きているからには「いつどんな風に」の部分で個人差があるだけで死は確約されているのです。でもそれは動物の肉体としての話です。知的生命体として素晴らしい活躍を遂げる人でずっと自分の死を心配して生きている人は少ないでしょう。

 

自分の肉体死が大きなテーマになりすぎないことが「充実人生」の鍵である。それが真実だと私は思います。

知的生命体
2019年03月28日

知的生命体

地球の人間は知的生命体ですが、今の人間は猿と似た動物の一種という扱いを受けています。進化論やDNA解析はじめ様々な要素から「自分は猿と同じく動物である」と認識している人が、世の中には実際多数うごめいています。

 

やっていることはまさに猿と同じで群れを成し、強さを競って格付けを決めて優位性を確保することに躍起になり、一度有利な立場につけばエサも異性も自由になる傾向があるためボス猿として以後も君臨したがります。群れの仲間として認識されれば守られてなんとかやって行けますが、それに失敗すると常に損をしてイジメられる、しがない猿としての未来が待っています。

 

しかし目立たなくても知的生命体として生きている人もいます。ラクして異性にもてたりカネを奪ったりして自分に流れ込むことに興味を示さず、社会に貢献したり他人を魅了させる何かを生み続ける人たちです。

 

前者は際限のない欲に常に囚われていますが、後者は孤独なように見えていつもハッピーな気持ちで過ごしている場合が多いです。「人間とは何か」を左右する根本的な考えの相違です。

 

4/6(土)の講演でうまくお伝えできればと思っています。可能でしたらその時にお会いしましょう。

自覚して生きる
2019年03月26日

自覚して生きる

今日は穏やかな陽気に誘われて世田谷公園をゆっくり散歩してきました。

 

倒れる前から私はほぼ一人でここには通って哲学していたので(笑)元気だった頃の自分、脳幹出血で重体になった日に息子が誕生したこと、意識不明で寝たきりだった自分が立って一生懸命にリハビリに歩いてここに通っていたこと、そのうち息子が歩いて一緒に来るようになったこと、今では息子が喋って私に話しかけてくること、その経緯を見守ってくれていた妻がいつもいたことなど、数年でも濃い過去の思い出が怒涛のごとく押し寄せてきます。

 

息子は保育園に通うことを嫌がるので、この春別の保育園に移ることが決まっています。生活のために保育士をやっているけど実は他人の子供の世話には興味が無いという大人をすぐに感じ取るのか、そういう人には会いたがらないのです。

 

何が言いたいかというと、誰でも大人になると数年くらいは「あっと言う間だった」という場合が多いでしょうが、一瞬一瞬を心に刻んでいないだけだと私は思うのです。

 

ほぼ毎日一刻一刻を自覚して何かをしていれば、数年もあれば記憶に残ることは誰でも盛り沢山なのです。子供が大人になるだけで時の流れが退屈になるわけではありません。無自覚に何かをしている時間が増えているだけだと私は考えるのです。どうせ生きるのなら無闇に長生きを望む前に日々を充実させる工夫を怠らないことが大事だと思うのです。皆さんはどう考えますか?

気持ちを伝える
2019年03月25日

気持ちを伝える

気持ちを上手に表現しているか?

 

私が検査入院していた一週間以上、息子は私が家に居ないことを苦にしていたという妻の話とは裏腹に息子は病院に会いにきてくれてもそっけなく、自分が食っている弁当を「こればミズ君の弁当だからあげない」とかつまらないことを私に主張していたりしました。私が家に帰って数日してはじめて私のベッドに深夜に入ってきて、新しく入手したらしいミニカーで自慢げに遊んで見せて説明を始めました。2歳半でも一丁前に恥ずかしさが強いようです。

 

笑ってしまいますが大人でも多くの人にこの傾向が強く残っていますよね。

嬉しくても素直に表現できない人がどんなに多いことか…

 

表現しないまま突然死んでしまっても「この人は最期までこういう人だった」という誤解した印象が残ってしまう事が多いように思います。深い仲なら「あんな態度を取っていながら本当はこう感じているんだ」とかの憶測もはたらきますが、よほど深い関係でもないかぎり伝わらないだけで終わっている関係も沢山あるわけです。

 

「いちいち言わなくたってそれくらいわかってくれよ」という甘えた願望が通じるまでにはそれなりに深い関係を築く必要があります。ここに「人間は表現する生き物である」という特性のミソの部分があります。

 

いつ死ぬかわからない状態で誰もが生きています。常に自分の想いや考えを表現する価値は高いと私は感じます。あらゆる歪みはそこから生じているとも言えるのです。

納得のいく人生
2019年03月24日

納得のいく人生

私は人生の殆どを孤独に過ごしてきましたが、晩年は妻と2歳の息子と(五十歳近くに遅すぎてまさかですが)過ごせたので満足しています。息子も二歳半ともなると色々認識しているらしく、乗り物に乗っても騒いではしゃいだりするでもなく、感慨深い顔をして私の瞳を見つめてきたので驚きました。公園で近くを歩いているのに「カズ、どこ行っちゃうの?」と心配そうな声を出すので驚きました。先週私は入院して留守にしていたので、色々と思うところがあるみたいです。「身体が悪くて走って逃げることもできないから何処へも行かないよ~」と軽く答えておきました。実際すぐに転ぶので私の身体には触れないように気を付けてくれています。息子の目の前で転ぶと一歳頃から自分が転んだように大泣きするので共感力が強いのでしょう。サッカーをしたそうな身振りですが肩車はおろかダッコしてとも私には言ってきません。妻も私を長生きさせようとしているかどうか知りませんが(笑)おいしい減塩食を毎日懸命に作ってくれます。この動画の撮影も妻です。

ですからいつ死んでも「やりそびれた・ああしておけばよかった」と思う大きな事は何もありません。

 

ただ地球にやってきたミッションとして「人間を家畜や奴隷として扱っている種が闊歩しているこの星においても、命の尊厳というものを重視する(単に肉体での長生きという意味でなく)レベルの文明を実現させたい」という目的はまだ未達です。

 

同じように感じている人が多くなっている昨今ならチャンスはまだまだあるとも感じています。皮を被ってコソコソしていないで積極的な行動を皆が起こせばよいだけだと思います。さもなければ奴隷(社畜・国畜)として不本意な死を遂げるまでです。それはそれで個人の貴重な経験にはなるでしょう。

 

でもせっかく今の時代にこの星に生まれて生きているからには納得の行く人生を皆で生きましょう!

 

ひとまずは4/6(土)14:00からの講演会で可能な方はお会いしましょう。

 

宗教というワナ
2019年03月23日

宗教というワナ

ほとんどの人は自分の人間としてのスペックを鑑みて「自分は何の取柄もない量産品だ」と定めています。そう感じながらも「特別な存在でありたい・特別な存在と関与したい」と願っています。ですから特定の人物を一般の量産品とは異なる特殊な存在と思わせることに成功すれば、貢いだり従ってくれるわけです。芸能人でも教祖でも、みんなその同じしくみで庶民と自覚している人間を動員しています。特別な人を見かけた、接触した、関わったというだけで優越感を感じる人々全員が搾取対象です。

 

基本は自分が取るに足らない存在だと思っていて、そうではない価値が高いと思っている人のためなら時間やエネルギーを注ぐ傾向が誰にもあるのです。その人の特性を利用しているビジネスが宗教や芸能人や各種ブランドだというわけです。

 

「人間にはそれぞれ異なった魅力があるだけで皆が特別な存在だ」と見なして自分の人生を生きていれば、特定の宗教信者やファンクラブ会員や特定ブランドに入れ込むことはありません。これらに搾取されている理由は、自分以外の何かに価値があると思い込んでいる人が多いからです。

 

単に人間の価値というものに想いを巡らせてこなかった証だと思うのです。この辺のことを教えてくれる人も少ない世の中なのでしょう。

肉体余生
2019年03月22日

肉体余生

今日、先週入院検査していた病院で退院後の検査がありました。

 

採血と検尿でかなりのところまで健康状態がチェックできるので、病院嫌いな自分でも感心します。

私は脳幹出血で脳幹を損傷しているので、内蔵全てが脳幹との連絡が正常になされていないため、予想もつかない働きを内臓がしていて全身が危険な状態になっていたのです。

 

誰でもそうですが、心拍を意識しなくても機能しているのが普通の脳幹のはたらきに因るものですが、どこの臓器にどんな指令を出すとかの脳幹のはたらきを意図的に制御しようがないのです。

でもあり得ない指示を受けた内臓が勝手に仕事をするものですから私は肉体全体を蝕んでしまうわけです。検査入院ではその不明部分にアタリをつけて処方をしてみるという賭けに出たのですが、一週間過ぎた経過をみてみると賭けは当たっていたと言ったところでしょうか。同じヨレヨレですが歩き易くなったし、身体が随分楽になりました。

 

肉体のしくみとは実に繊細で微妙なものです。私は元々が2年前に脳幹出血という死んで当然の事態が起きたことは既成の事実ですので、いつまで肉体が維持できようと大した問題ではありません。ただ既にオマケで生きているからには何を考えて何をするのかに余生を傾注しようと強く想います。

憑依現象
2019年03月22日

憑依現象

憑依という言葉を誰でも聞いたことがあるでしょう。

 

どっかの他人にはあるだろうけど自分には関係ないと思っている人が多いようですね。でも実は思っているよりも沢山の人が現実に憑依されています。

 

人は非物質のエネルギーだということを散々語っていますが、それでも多くの人が肉体という物質に宿って生まれてきて生きています。それは肉体がなければ実現できないことを体験するためにこの世に出てくるという意味でもあります。

 

不慮の死や自害でこの世を去った人は「肉体を持って生まれて出てきたただけのことは経験できた」と納得していることは少なく、でも気付いたら肉体がない状態なので「どこかの肉体を借用してでも思い残した経験を果たす」という行動にかなりの確率で出ます。

 

だから葬儀で肉体という器を出た霊魂を納得させることはこの世の混乱を防ぐためにも重要なプロセスなのであり、よって新鮮な遺体を囲んで焼肉パーティーをする人は原則いなくて、普通は皆が弔うものです。誰もが物質ではない故人にお疲れ様の意味を込めて敬意を表しているわけです。

 

冷静に考えれば憑依現象とはオドロオドロしくもなんともない、ごく普通に起きていることです。自分の生き方を考えたことがない人ならば、常に他人の霊に踊らされている人も珍しくはありません。

 

もっと飲み食いしたい、もっと性的な欲求を果たしたい、もっとカネが欲しいというような欲求は本当にあなたの欲求でしょうか。他人の欲望を果たすために動かされている肉体も少なからず存在するわけでして、肉体死を迎えるまでそこに気付けない場合も多いのです。

 

私が瞑想を推奨するのはそこに理由があります。真の自分の欲求を自覚して生きるなら、今とはまるで別の人生になる可能性が高いのです。

この世とあの世に境目はない
2019年03月21日

この世とあの世に境目はない

昨日の続きです。

 

この世とあの世には違いがないと私は言いたいのです。違うのは物質肉体としてしか機能しないのかどうかであって、元々人間とは特定の物質に自分の機能を閉じ込めた非物質なのであって、本体は融通無碍なエネルギー体なのです。

 

ところが自分のごく一部を閉じ込めた肉体だけが自分であると勘違いしている人の比率が異常に多くなってしまったので肉体生死だけが問題とされて、エネルギーが流れないロボットみたいな固体だけが生きているのが人間だとの一般的な認識となってしまっているのです。

 

ロボットにとって愛だの勇気だの知恵だのは無価値なので、生きている限りカネやモノや名誉のことを重要視する人生を送ってしまうのです。エネルギー体としてはそれこそ無価値なのですが、死んでから気付く人が多いというのが現代の特徴です。

 

生きているうちに物質の肉体も含めた人間の価値をグローバルに認識できる人が標準となる文明に、地球だってこれからは出来ると私は考えているのです。

 

4/6(土)の14時から、少しでもお伝えできるよう準備を進めています。

この世とあの世
2019年03月20日

この世とあの世

今日は少し真面目に「この世」と「あの世」の話をします。

 

生身の身体で生活している人は「自分は常にこの世にいる」と自覚して定義しているケースが多いでしょう。なぜなら常に物質の肉体を通して痛いとか痒いとか快適とか不快とか気持ち良いとか感じているからです。では、睡眠に毎日確保して過ごしている時間をどう説明するでしょう。暑くて寒くて痛くて苦しくて起きてしまうことだってありますから、「やはり睡眠時間だって肉体という物質としてこの世に存在している」と考えている人が多いわけです。でも果たしてそうでしょうか?

 

私は脳幹出血で植物状態を経験しましたが、ベットで横たわっている期間は凄く多忙でした。この世ではほぼ横になっているだけの死に損ないですが、大脳は損傷してないので、いろんな時代にいろんな場所でいろんな経験をしてきて記憶にも残っています。ただ、どのヴァージョンの自分もこの世の肉体と同じく身体が動かないので、介護役が常に同行していて自分も半分マシンのような肉体でした。

この肉体に看護師が近付く度(かと思われますが)この世の人間らしい存在が感覚のない私の身体に触れて何かをします。その時だけこの世に意識が少し戻るのです。そしてすぐに元の時代や場所の自分に帰るのです。

 

意識が戻ったという扱いを受けた頃には肉体が少し動いていたようで、勝手に点滴の針を外したりして医師を困らせていたようです。その事を記憶していませんが私は相変わらず夢の中で忙しくしていました(つまり肉体に意識が戻っていなかった)。後日入院することとなった際に別のフロアや通路を覚醒状態で通りましたが、どこも幽体離脱状態で見た認識通りの構造をしていました。

 

植物状態に限らず、ほとんどを寝て過ごしている人は実在するわけですが、自分の経験からもその人たちは「この世には生きていない」というのが私の結論です。元気に働けていても意識状態がシフトする人も実在します。あからさまだと精神病院行きとなってしまう場合も多いですが、うまく調整できている人の場合、学校や会社に普通に通っていながら異なる世界を堪能している人は結構たくさんいると私は踏んでいます。

 

詰まるところは「精神異常」とか「社会適合性」とかのテーマになるかとは思いますが、いずれにしても「人間とは何たるか」が誰もわかっていないということが大問題だと私は捉えています。

 

だから肉体生死を含めた「人間を知る」ということが最重要だと私は考えているのです。