お知らせ

2017年4月
室内にいながら宇宙旅行
2017年04月28日

室内にいながら宇宙旅行

一昨日に開催しました【第7回・高次元波動体験会】も、会場ごと高次元に移行できたようでして、おかげさまで参加者の皆さんから感動や喜びの声をいただきました。ありがとうございます。

今これをお読みくださっている読者の皆さんも、学校の理科の授業で習った宇宙観や社会で習った人間観から脱することができないかぎり「いったい何の戯言をほざいているんだ?」となってしまうでしょうが(笑)、それでも重ねて申し上げましょう。宇宙や人の本質は物質的な要素ではないのです。

東京都心部にあるビルのワンフロアに、ごく普通に電車を乗り継いで集まってくださる参加者自身がそれを体験するのですから、疑いようのない事実なのです。今回も「自分が龍に乗っていた」「とても眩しい明るい光に照らされた」「銀河のような星雲を見た」「羽のある天使が複数いた」「宝の存在を示唆された」…等々、肉体は同室に居合わせているのに参加者それぞれが異なる世界に行って帰ってきました。打ち合わせでもしてあったかのように、一部内容がリンクしてくる人も必ず出てくるのです。主催である私は会場の様子も観察していますが、肉体が消えて無くなる人や眠り込んで戻ってこない人は誰も居ません。体調が良くなる人は毎回いますが、悪くなる人は決していません。

つまり、これは休んでいる肉体とは明らかに別の自分が活動しているということを意味します。非物質としての自分の存在を確信できる最大の利点は「必要以上に肉体死を怖れなくなる」ということでしょう。

人生を不安に感じる要因は、ほぼすべてが肉体死を怖れることからきているからです。それから「物理的な制約と見えるものを克服できる可能性があるのは当然のこと」といった考え方をするのが当たり前の人生となってくるわけです。「肉体をはじめ物質として存在することだけが、人や社会や宇宙を構成しているわけではない!」ということが、ご自身の体験から腑に落ちるのですから、そりゃそうですよね。

5/7野村節子さんの主催イベントでは、この辺のお話を詳しくする予定です。

次回で第8回となる【高次元波動体験会】は、また決まり次第おしらせいたします。お楽しみに。

生と死の意味
2017年04月24日

生と死の意味

先進国であろうと発展途上国であろうと、物質的な豊かさを求めて生きているほとんどの現代人はゴマカシ人生を送らされてきました。「それでも先進国と呼ぶのか?」というツッコミは別の機会にするとして、人生を晩年まで誤魔化すつもりで生まれてくる人はいないでしょう。物質界に生まれてくると親や先生など、既に人生を誤魔化して生きている人々に、大人と同じようなゴマカシ人生を送るよう強要されるのですから、子供にとってこればかりは致しかたありません。

このような内容の文章を書いていられる私は「人生に向き合ってはならない」という洗脳から逃れられたほうだったというわけですが、おかげで常に周りから疎まれる子供でした。社会人であった周りの大人たちは「死ぬとはこういうこと。よってこのように生きる」といった考えに向き合うことなく逃げ続けたゴマカシ人生を送っている…という自覚があるからこそ、私は困ったことを訊ねてくる子供だった(笑)。

養鶏所の鶏に大自然での本来の鶏の生き方を教えてもしょうがないし、現実的にその術もないでしょう。養鶏所の鶏は、人間に肉や卵を提供するためだけに生まれて成長させられ…それ以外に目的がないわけですから、子供にでもわかる理屈です。それが鶏でなくても、肉や卵ではなく乳でも内臓でも角でも毛でも皮でも、同じことです。

ところが、人間は死亡しても日本の場合なら骨の粉になるまで強火で焼かれるだけです。私は冠婚葬祭ビジネスが盛んな地域で育ちました。葬儀と結婚式を同じ会社が扱っているというインパクトも手伝って(笑)それらを生業にしている人々が存在していることもわかっていました。「毎日それを仕事にしている人もいるくらいなのに、人間の死というものをどうして大人は子供に語ろうとしないのか? それどころか、死に関心を示すだけでも大人が嫌がるのはナゼ…?」

中学生になってから気付いたこと。それは大人たちが隠していたわけではなかったのです。「知らない・答えられない」だけだったんですね(笑)。

今になって思えば、どんな大人も自分と同じくそこに疑問に感じていた時期はあったのでしょう。ただ疑問は疑問のまま放置しておいて、少なくとも現役時代はそこに触れずに誤魔化して生きている人が大多数であることが、良くも悪くも現代の経済社会を成立させているわけです。

同じく中学生になって新たに発見したことがありました。それは歴史や地理の資料を見ていてわかったことです。同じ家畜でも「犬・牛・馬・鳩・鷹・鵜」などは、人間が殺して食したり実用品として加工する目的以外でも、きちんと躾ければ生きてるだけで何かと役に立つ存在となる!という事実です。そこで俯瞰してみればわかること…

「とある存在」からしてみたら一般的な「人間」にもまさにそんな一面がある、ということです。中学生以降の自分にとっては、その「とある存在」が何なのかを突き止めたい!という欲求が最も人生を左右してきました。それが非物質世界探求へとつながってきているのです。

「陰謀論」というジャンル?があります。人間が馬や鷹を飼育することは、本来は自由に走ったり飛んだりできる馬や鷹にとって、はたして人間の陰謀に嵌ったということになるのか?…これは実に興味深い問題です。

犬をはじめとして人間に役立つことが生き甲斐であるかのように思える生物が、実際に存在します。それが人間であった場合でも「あなたは誰にも何の役にも立たなくてよいから、どうぞ好きなように生きてください」という状況が一生続いたとして「これこそが理想の人生だ!」と感じられる人はほぼいないでしょう。どれだけ物資に恵まれていたとしても、長く続くほどにかなり虚しくて辛い生活だと思うのです。

物質的な世のしくみをどんなに知ったところで、心の豊かさや幸せが付随してくるわけではありません。また非物質のしくみだけを探求したところで、肉体物質生活がすぐに向上するわけでもありません。非物質である意識存在でありながら物質肉体を有する人間にとって、どちらも重要なのです。

物質と非物質、双方の特性を上手く活かしたこれからの生き方を、臨死体験も通して得てきた私なりの人生論としてお伝えします。

 

霊的な力
2017年04月20日

霊的な力

「スゴ~イ。私、霊能力なんてまるでないんですよぉ」とか、あっさり言う人にかぎって日々が霊的な現象で溢れていたりするもの(笑)…当たり前すぎて、意識もしていないのですね。人とは、自分にはないものに憧れるのです。短距離でも長距離でも「走るのが苦手」なんて話ができている時点で、階段の昇降を含めて徒歩で移動できるだけの健康な足腰を備えているわけなのです。

よくある例ですと、「証拠はなくても、それが嘘だとわかる」「なんとなく、相手が隠し事をしている気がする」「なぜか、そうなるような予感がある」…等々。これらはいわば全部「霊能力」なのですね。一般的に女性のほうが発達しています。

唯物主義の現代社会は「万人に同じ結果をもたらす物理法則のみが真実である」という、私からしてみたらカルト宗教に毒された人々(笑)を中心に成り立っています。普通に「生霊」という言葉があるくらいですから、他界した人はもちろん肉体をもって暮らしていても、誰もが霊的な能力を発揮していたり影響を受けていることは火を見るよりも明らかなのです。

物質至上主義で言うところの「科学的根拠」などというものを示すことはできないが故、人間にとって本当に大切な事はほとんどがタブー視されていたり、闇に葬られているのです。そんなあって当然の非物質能力を、たとえ僅かであっても物質肉体である手足を動かすように活用できたのなら、現代人の悩みや苦しみの大半は消えてしまうでしょう。

重ねて言いますが、私が話しているのは「現代人の誰にでも普通に備わっている自然な非物質能力」のことです。これ見よがしな超能力・霊能力の事ではありません!決して他人を驚かせることが狙いではありません。本人も周りも穏やかに豊かになることで人生をより充実させることが目的。周りの人に詳しく説明しなければ「あの人最近ついてるよねぇ」と言われるくらいの非物質活用術です。短期的には単なる「ラッキー」で片付けられる範囲の変化であることがポイントなのです!(笑)。真剣な話、あまり急激な変化を求めた場合、必ず大きな弊害が出てしまいます。ラッキーは自分で創出できるのです!

「スピリチュアル」の誤解
2017年04月13日

「スピリチュアル」の誤解

もうすぐ4月も後半。ここ数週間は何が何だかわからないほど慌ただしかったという人でも、生活のリズムのようなものが見えてくる頃でしょう。新たな肩書きなり金銭報酬なりを得るため新生活をスタートした人の中には「こんなはずじゃなかった…本当にこれでよかったのだろうか?」といった想いが湧いてくることもある時期です。「名誉や金銭だけを求めて頑張っていても人生ダメなのではないか?」というような疑問が持ち上がって、俗に「スピリチュアル」と呼ばれているジャンルに興味を示すようになるのかもしれません。

実は私、だいぶ以前から「スピリチュアル」という言葉を使うことに大きな抵抗を感じている一人なのです。便宜上わざと使うこともありますが、できるだけ「非物質」とか「霊魂」などの言葉を選ぶようにしています。
 その最大の理由は、「スピリチュアル=現実的ではない」というようなニュアンスを込めて使われる場合も多い単語だからです。実際に、「スピリチュアル」という言葉を多様している人の話や文章に賛同して集まっている人々の様子を見ていると、物質的な現実生活から逃避している可能性も残念ながら否定できないのですよね。
 それ故に私は長年、霊的な事柄に最大の関心を寄せていながらも、誰にとっても現実的だと思える形でサポートできるような社会との接点の持ち方を模索してきました…「経営コンサルタント」ですとか(笑)…真剣にやってきました。しかしもう、そんな遠回しなことをしなくてもよいから直接的にメッセージを発信しよう!と決心しまして、近年はこんなスタイルなのです。

私が再三お伝えしている通り、人の本質は非物質です。すなわち「万人がスピリチュアルな存在」なのであり、それが確固たる現実。全く例外はありません。仮にこれを読んで懐疑的な人であっても、肉体死を迎える時にはそれを知ることとなります。その時が来月なのか来年なのか数十年先なのか…時期に個人差があるだけでいずれにしてもそんなに遠い未来の話ではありませんし、肉体で感じているその「時間」でさえもスピリットには無関係なようである… これも以前からお伝えしていること。

本来の「スピリチュアル」とは、逃避でもまやかしでもなく、とても現実的で日常的な意味合いの言葉なのです。しかし、それと同時に物質である「肉体」を維持するためにも生活しているのが「人間」なのです。どちらともガチな現実!(笑)

逆の見方をしましょう。有名無名にかかわらず、大きな仕事を遂行できる人は皆「スピリチュアル」な法則を熟知していて、その特性を巧く活かしているということです。そんな事をおくびにも出さない人がほとんどですし、本当にその自覚がない人も大勢います。つまり、どこの誰から何を教わるでもなく「スピリチュアルな生き方」を実践し続けている人が、今でこそ少数派ですが常にいるということです。

数百年前でしたら地球上のほとんどがそういう人であったと私は感じています。

ですから私は皆さんに何も特別な事をお伝えしているつもりは毛頭ございません。
当たり前な事を当たり前に感じて生きてみませんか?とオススメしているだけです。

ハッキリと分かれているわけではない
2017年04月06日

ハッキリと分かれているわけではない

新生活が始まった人にも昨年と何も変わらないと思っている人にも季節は廻って、桜が咲く新年度に入りましたね。
 時空制約のある物質世界で暮らしていながらも「時間」とは、あってないようなもの。時は絶対的なものだとして時計や暦を用いて生活している我々ですが、一年前がつい先日のことのようだったり遠い過去のようだったり感じるのです。
 「空間」についての話をするのならば、ものすごく遠い世界だと思っていたはずが、気付けば日常的に苦もなく移動している範囲になっていたり、いつもは何気なく通っている場所がある日、途轍もなく遠い感じがするわけです。

絶対不変だとされている事がいかようにも感じられる、これはいったいどういう事なのでしょう?

それは「時間や空間とは絶対的なものではない」からです。「物質がすべてである」としている家庭や学校と呼ばれるところで「絶対的なものである」とすり込まれただけなのです。実際に、すり込まれる前のみなさんならば過去を悔やんだり未来を心配することはなかったはずです。本来の人間は他の生物と同様に常に今を生きていたのです。失敗も成功も、幸も不幸も、始まりも終わりもない、ただ変化する…それこそが絶対的な命なのです。 

逆に考えてみましょう。悔やんでいる過去や憂いている未来がありますか? 言い方を替えるならば「ああしとけばよかった」とか「できることならこうしたい」といった事柄です。それらは「今どうこうすることはできないから」というのが、みなさんにすり込まれた常識です。
 ところが、そんな過去もかつては「今」でしたし、そうありたい未来も必ず「今」となるのです。時間は絶対的な一方通行なのではなくて自由度の高いものだとしたら、過去も未来も全部「今」だということです。巷にある願望実現系セオリーの多くはこの性質の一部分を誇大に表現したものですが、時間と空間はセットになっているため、一部の特性だけを活かそうとしてもバランスが崩れてしまい、他の部分での弊害が起きやすいのです。

そこで私は「物質」に対して「非物質」という区分けをしているのです。しかしそれは便宜上であって、人間は物質の肉体であるかのような錯覚に陥りながらも誰もが非物質の意識をもつ、いわば「半物質」の存在です。可変幅が人によって大きく異なるのです。肉体を有しながら完全な非物質としての特性を活かす人が現在でも一部いて(それが標準の文明もある)昨今はそんな人たちが少数派なため「異常者・特殊能力者・霊能者」などと呼ばれてしまうのです。本来はそれが普通なのですが…(笑)

私は元々書物などの情報にあたるだけでなく、自分の変性意識状態(瞑想・夢)を活用して非物質世界の探求をしていたところ、たまたま臨死体験のように濃厚な異次元体験もが加わったのです。故に実体験として、人や宇宙の本質が非物質であることを確信を持ってお伝えしているのですが、やはり日常生活における「物質と非物質のブレンド具合」とでも言いましょうか…その境界が不明瞭なだけでなく、そもそも人によってまちまちなため、画一的にお伝えする事にはどうしても限界があるのです。ですから私は個別にお伝えすることを重要視しているのですが、不特定多数のみなさんにお話をする場合でも、極力、個別の解釈が可能な融通の利く言葉を選んで語るようにしています。