お知らせ

2017年3月
原始人
2017年03月31日

原始人

みなさんは「原始人」と聞いて何をイメージしますか?

誰でも、10歳頃までにすり込まれてしまったイメージを未だに持ち続けているのが普通でしょう。先生、親、大人たちの話や作品や資料などから仕入れる情報を逐一疑うような子供がいたのなら、それはそれで大変ですね(笑)。みなさんは素直に信じられる子供でしたでしょうか。

おそらく、一般的には「原始人=まだ物質的に不便な暮らしを強いられている未開の人々」的なイメージが抱かれているのでしょう。「物が溢れて便利になること」が文明の進化だと定義している現代人ならば、当然の考えですよね。

歴史についてでも、宇宙に関してでも、私たちは教えてもらったのではなく「すり込まれてしまった」という表現を使うのが妥当なのです。なぜなら「原始時代の記憶を明確に有している」とか「今回の人生で、その時代に行って確認してきた」という人の情報が元になっているわけではなく、現在は権威あるとされている(後年には悪く言われているであろう)有名人の憶測だったり、遺された物的証拠からの推測に依存しているだけだからです。

このサイトの読者なら、もう「物的証拠」という言葉にヒントがあることにお気付きでしょう。
そうなのです。非物質的に発達していれば当然、物質的にはシンプルとなるのです。
完全な非物質生命体ならば、恣意的に何かを残さないかぎり物的証拠はゼロとなります。その場合は、昨年も説明した通り「時代・場所」といった概念すらないので、このような話自体が成立しない世界なのですが…

近年、常に戦争のために開発されてきた諸々の最先端テクノロジー。仮に我々現代人の誰もが瞬間移動や重力制御ができ、テレパシーや遠隔念動力が当たり前だとしたら、今あるコンピューターやマシン類のインフラ全てが無用の長物です。そもそも、大量生産大量消費を促すための金儲けを目的に破壊的愚行を繰り返すこともないでしょう。

物質肉体があっても希薄、もしくは完全非物質の生命体からしてみれば、波動の粗雑な「物質」ばかりを探求している現在主流の人々こそが「原始人」なのです!(笑)。しかしその反動なのか、電子データという名の非物質が今の社会に凄い勢いで台頭してきているのです。みなさん自覚のないまま…なのかもしれませんが、ここ10年程で社会がかなり非物質化しているのです。これが投稿されているしくみが、まさにそれなんですよね。物質主義を謳歌したまま変化できない人間は化石となってしまう時代に突入したのでしょうか!?

気分が落ち込む理由
2017年03月28日

気分が落ち込む理由

普段から寡黙な人でも、常に元気で明るい印象の人でも、そのそぶりを他人に見せるか見せないかというだけの問題で、生きていれば気分の沈むことはあります。では「気分が落ち込む」とはどういうことなのでしょう。

毎回繰り返しのメッセージになります。物質でもある肉体人間ですが、非物質のエネルギー(霊魂)が人の本質です。それぞれが求める性質についての違いを簡単に述べるならば、肉体は「自我(エゴ)」なのに対して非物質は「慈悲(利他)」というような表現になりますでしょうか。これが、物質としての種の保存を試みる肉体生物でもありながら非物質エネルギーでもある、地上人間の営みの難しさであり醍醐味でもあるのです。

物質文明に生きる人間には、それが妥当かどうかは別としまして「生き残るためには自分以外の存在から奪う・殺す・騙す・利用する・壊滅させる等の行為はやむを得ない。積極的にではないにせよ、生きて行く限りは万人がそのような事柄と無関係ではいられない」という考えがあります。

一方で、非物質エネルギーとしては「分かち合う・与える・楽しませる・喜ばせる・助ける・美を愛でる・寛大である・醜い生き方を避ける」等の欲求があります。まずは自分の肉体欲求の満喫なり制御なりを経てからでしょうが、それらが自分の喜びでもあるという感性を、綺麗ごとではなくて本当に皆が心の奥底では持っています。

 つまり、現代人は常に二律背反する欲求を抱えているため、社会の在り方や人間の生き方が矛盾に満ちている!というのは誰もが感ずるところであり、仮にどちらかを充たそうとすれば、それが充たされた場合でももう片方の欲求が踏みにじられることになるのです。

よくある例ですと、子供時代に貧乏だったのをバネに、成長にするつれて「アイツは守銭奴だ」などと陰口を言われ続けても、めげずに努力して金銭的には報われたとします。ところが、表面的には派手な人間関係を築いて物質的にどれだけ豪華な暮らしをしようとも、心は充たされない。そんな虚しさを埋めようと、酒や薬物やセックスに依存するようになる…。
逆パターンでは、若気の至りでカッコイイと思って「俺は金儲けのために魂を売ったりはしない」とか豪語していたのがアダとなり、寝床や食事にどうやってありつけるのか?という日々だけを重ね続け、人生を楽しむどころか心のゆとりのカケラもない毎日を送っている…。

その善し悪しを言いたいのではありません。どんな選択をするのも各人の自由ですし「それしか選択の余地がなかった」と主張する人もいるでしょう。私自身も今生はその両極端とまでは言いませんが、かなり振り幅の大きい実験的な人生を送ってきました。どちらも物質界で肉を持つが故に起きる現象です。

それらは経験することに意味があるのであって、結論、どちらが正しいのでも間違いでもないのです。善悪や正誤とされる主流価値観が時代や場所によって変わって行くだけです。その時代や地域の価値観に迎合しようが反発しようが脱出しようが無視しようが(笑)、全てが肉体を持って生きるバリエーションの中の一つなのです。

大量殺戮に大きく貢献した人が称賛される事もあり、虫一匹殺せない人が冤罪で極刑に処される事もある。それが人間社会なのです。こんなゲームは「ヒトや宇宙は物質でしかない」という認識の元に非物質世界を蔑ろにするからこそ成立している…私はそう思うのです。物質肉体次元を卒業してしまったらとても叶わない、次元のいくつも重なった複雑で濃密なしくみ。だから謎だらけの壮大なゲームなのですが、ルールは意外とシンプルだったりするのです。

やればできる
2017年03月19日

やればできる

年度の替わるこの時期、別れを惜しんだり出会いに胸躍らせたりと、泣いたり笑ったり忙しくされている方も多いことでしょう。
安定安心を最良だとして暮らしている人にとって、習慣化された既知に決別することは勇気の要ることであり、予想もつかない未知を思い煩うことなく次のステージに向かって積極的に歩を進める!なんて、自分にはハードルが高い…とか弱気になったりもする時期ですよね。
単なる取り越し苦労だったと思える時がすぐに訪れれば笑って済まされますが、実際に日々が「苦しい・辛い・痛い」と感じる状況に陥ってしまった場合、そうなってから「気にするな」「前向きに考えろ」「がんばれ」などと周りにアドバイスをもらったところで、「それができれば苦労しない」というのが多くの場合の実態。やはり誰であっても、何がきっかけであろうと、一度穴に落ちてから抜け出すということは至難の業となってしまうのです。

ではどうすればよいのか?というと、落とし穴を察する力を身に付ければよい、となりますね。誰がどの道を選択しようとも、人生どこかしらには穴が開いているものです。やたらと疑い深くなったり異常に慎重になったりでは、むしろ前進できなくなってしまいますから、そこは勘違いしないで欲しいのですが、スラスラと進んでいるようでも実は一歩一歩を着実に踏みしめていれば「何かがおかしい」とすぐに気付くようになるのです。「鼻がきくようになる」と言ってもよいでしょう。つまりそれは同時に、隠された宝にも気付きやすくなるということです。

宝を見過ごしたり落とし穴に嵌ってしまう原因は、結局「浮き足立っている」からなのです。それを上回る愚かな行為で「墓穴を掘る」というものもあります。世の中には、自分が落ちる穴をご丁寧に自らわざわざ掘っている人が少なからずいるのです(笑)。笑っちゃいけないのでしょうが、着実に進む他はないところを一足飛びでどうこうしてやろう、と画策するが故に招く事態なのですね。

昨夏、私が肉体死の淵から何故か抜け出してきて7ヶ月が経ちました。小脳損傷による寝たきりで病衣の着脱すらできなかった容態でも「まだ生きるのなら、せめて歩いて話して文字を書けるところまでは戻そう!」と勝手に決めたのですが、そうなる近道はありません。
身体を起こしてもらって車椅子に移っても数分でギブアップしていた時期。飲み込みや喋りができるようになった時期。車椅子から無理して立って転倒して大騒ぎとなっていた時期。トイレで用が足せるようになった時期。少しだけ歩けるようになった時期。手すりに捕まれば階段をゆっくり昇れるようになった時期。最近では激遅ですが降りれるようにもなりました。自分が他界しそうだった日に生まれた息子には、毎日話しかけて赤ちゃんと一緒に舌や口を動かして発声訓練をする(笑)。その甲斐あって滑舌はだいぶよくなりました。まるで泥酔したかのように歪む視界と、しびれる指で打つワープロ。タイプミスだらけなのを後から修正するので何時間もかかりますが、現にこれだけ入力できています。半年前はビー玉とおはじきの形状分別すらつかない皮膚感覚で、医療従事者の皆さんにはかなり厳しい推測をされていた…。

やればできる。それは「今できること」を「やる」ことの積み重ねです。今できない何かが突然できるようになる、とは考えないことです。また、まさにその通り「突然できるようにはならないから」という理由で、簡単に諦めて投げてしまわないことです。
奇跡や幸運を祈っているだけではそれは起きませんが、着実に行動している人のところには偶然やラッキーが起こって当たり前になります。そこには非物質の力が明確にはたらくからです。私は、そのメカニズムをあらゆる立場の人にいろんな形でお伝えしています。その本質は、相手によって伝え方を変えなければ伝わらないからです。人間にはそれぞれ、受け入れることのできる話の種類や範囲というものが、その時々で必ずあるからです。

波動の違い
2017年03月14日

波動の違い

人とは、多重構造をしています。便宜上、図形やグラフで表すこともありますが、「氷・水・蒸気の違いを、それを知らない人にも一目瞭然の形で示してください」となれば難しいように、「肉体」という物質と「霊魂」などと呼ばれる非物質の違いだけならまだしも、例えばアストラル体・エーテル体・コーザル体などという単語を使って非物質の多重性を説明したところでイメージするものは各々で異なるでしょうし、形状など存在しないにもかかわらず、実際にはまだまだ精妙な方向へと重なりは続いているのです。

 ですから私は「肉体は最も粗い波動の形態であって、そこから精妙な波動に向かって連なる非物質の状態こそが人の本質である」というような表現で皆さんにお伝えしていますが、受験のように「この状態の名称を答えよ」などというのはナンセンスの極みである(笑)と考えています。

 確かに動物としての人間は物質肉体のスペックで決まる部分があります。喰われずに喰い続けて生き残れるのか、異性の気を引いて種の保存に携われるのか…。しかし人生や社会の「質」となると、非物質の要素が大きくなってきます。故にどれだけ弱者から貪り続けて強大化しても、数えきれないほどの相手と性的欲求を充たしても、それだけで「充実した人生である」とか「社会に貢献できている」などとは誰も感じないわけです。

 それだけ大切なことなのにもかかわらず、多くの人が自覚できていない「非物質の自分自身」というものを、積極的に感じる機会を設けて人生のヒントを得ましょう!との趣旨で開催しているイベントが【高次元波動体験会】なのです。

 

 第7回 高次元波動体験会 4/26(水)開催決定!

次回で7回目となる【高次元波動体験会】は、「週末や夕方に掛かるとどうしても参加できないので…」との強い要望に応えて、平日の昼に開催いたします。

 これまでは、異次元体験と情報解説シェアのひと続きを2セットというプログラムでしたが、次回は1セットにして総時間を短縮、料金もお手頃に、これまで興味はあっても躊躇していたという方でも参加しやすい形態に変更しました。その分1セットを深く丁寧に掘り下げますので、過去の6回と比べても体験や情報の質が劣ることはありません。前回と同じく、ゲスト奏者「野村節子」さんの演奏するクリスタルボウルの波動に身を委ねて、参加者各自に異次元旅行をご堪能いただきます。

 「どういうイベントなのか、それでもまだよくわからない」という方のために更にくだけた説明をするなら、『心地よい音(周波数)の誘導によって短時間で皆さん同時に夢を見ていただき、各々の夢を分析することで、それぞれが得た情報を共有する』みたいな集いでしょうか…。周りの人の非物質体験と自分の非物質体験が互いに刺激し合い、周りが発表する内容に自分が解読したい情報が含まれているため、相乗効果がとても大きいわけです。

 明らかな感動体験をされる方もいらっしゃれば、特別な意味はない単なる夢として片付けられてしまうような内容に、重要な意味が込められている場合もよくあり、私がその解説をいたします。「この夢のような体験は隠しておきたい…」との理由で発言しないでいるのも、もちろん自由ですよ!(笑)。

 第7回【高次元波動体験会】
日時:4/26(水)12:00~15:00(受付11:30~)
場所:アトムCSタワー7F  https://www.atomlt.com/cstower/access/
料金:¥3,000(当日受付にて)
予約:knowinginnovation@gmail.com  
  会場セッテイングの都合上、人数を把握しておく必要があるため、
  こちらからの案内文が返信可能なアドレスからお申し込みください。
  下部「問い合わせ」クリックでも大丈夫です。(質問も大歓迎)
  

3/4(土)高次元波動体験会レポート
2017年03月05日

3/4(土)高次元波動体験会レポート

昨日3/4に開催された【第6回・高次元波動体験会】は、おかげさまでディープかつ楽しい集いとなりました。会場関係者のみなさん、お集まりくださったみなさん、誠にありがとうございました。

野村節子さんのクリスタルボウル演奏の波動に浸ることで肉体をリラックスさせた参加者各々が、高次元波動で包まれている間に非物質状態で体験したことを発表してもらう。その内容を受けて石井が解説を試みたり、疑問に思った事を質疑応答形式でみんなでシェアする…そんな2時間×2セット。4時間もあっという間の充実のひとときでした。

体験をしてもらうためにはもちろん、それを語っていただくためにも、とにかくリラックスが大切。せっかくお越しいただいても、緊張していては深い体験を得そこなったり発言しそびれてしまいますから、笑いをふんだんに交えての和やかな雰囲気で、見事に全参加者の感想を互いに聴くことができました。まだまだ参加者各々の謎解きは続くでしょうから、日々の生活に張り合いや楽しみが生じてくることでしょう。

毎回そうですが、目を閉じているのに「龍・蛇・星・銀河・特定の色や幾何学的図形・正体不明の謎の生物」などを見る人が多く、共通したものを認識する要因を一緒に探るプロセスも楽しいものです。今回は、流れていないはずの「人の声による歌唱」を聴き取った方も多かったですね(笑)。次回の第7回も、日程が決まり次第告知したいと思います。

石井も、有意義な時間をみなさんと共に過ごせた事がとても嬉しいです。まだ面識のない方でも、下部をクリックして遠慮なくお問い合わせください。

 

天国と地獄
2017年03月01日

天国と地獄

宗教などで定義する天国や地獄はあの世の話です。ところが生きている人間でも、辛くて苦しい状況を「○○地獄」「地獄の○○」などと普通に言います。逆に、まだ生きているのに「○○天国」なんて表現もありますね。

さすが、今日でも「お盆」等、死者の霊をもてなすという風習が続いているだけのことはあります。欧米の唯物主義医療・製薬・保険などの業界が浸透した結果、表面的には多くの人が闇雲に肉体死を避けて長生きしたがっている現代日本でも、生まれてくる人と同様に故人を尊ぶ、「あの世」と「この世」を分離させずに重ねたような価値観が根底にあるということでしょう。

子供の頃から何でも捕獲して飼育したがっていた私は早くから生物の生死には興味がありましたが、人間社会での死生観を意識しだしたのは中学の頃からでしょうか。そのきっかけは、田舎でも高校受験というものがあったため、そこに価値を認めている人間や社会というものを不自然に感じ、色々と調べるようになったのです。
すると、宗教的概念で「死者はすぐに裁かれて天国行きか地獄行きかを決められる」的なものが多くあったのです。これでは、生きているだけで既に容疑者扱い(笑)。それを象徴するかのように「懺悔」などという言葉があるのです。これは… 
そこに意義や価値を見出せるかどうかなんて全く関係なく、自分がどんなにくだらないと思う基準でも、相手に合格・不合格を決められる受験システムそのものではないか! おまけに社会に出る際にも「就職」などと言って、同じように人間が品定めされるのが常識となっているようではありませんか!! 

高校生の頃には、天国地獄について私なりの定義ができはじめました。それは、地上で物質肉体に縛られている状態が「地獄」、肉体から自由になった非物質の状態が「天国」です(笑)。そうして探求を進めるうちにわかってきた重大事。それは、地獄ゲーム(人生)は有志参加制なので、脱獄(自殺)したらルール違反です。自ら望んで参加したゲームなのにもかかわらず、自分の参加経緯など、ゲームを上手く進めるための情報はゲーム終了まで原則隠されている…というのがこのゲームの究極の醍醐味。だから地獄たり得るのですね。どおりで「憎まれっこ世にはばかる」だし「いい人ほど早く死ぬ」わけだ!なんて妙に納得できるじゃありませんか(笑)。実際には「憎まれて早死にする人」も「長寿の人徳者」もいるでしょうが、「生き地獄」とはよく言ったものです。ゲームを満喫できるようヤル気満々であるほど、人生は地獄絵図さながらにプログラミングされているのです!(笑)

そんな地獄ゲームに没頭している最中には思いもよらないのですが、ゲーム途中でも天国の情報にアクセスすることは反則ではないのですね。しかも、実は回数無制限でヒントを常にもらっているのですが、それに気付けない人が多いだけなのです。なぜなら、非物質の自分が物質肉体の自分をサポートしているから・・・・
人生のヒントをくれるのは誰でもなく、他ならぬ非物質の自分自身なのです。