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審美眼
2019年09月18日

審美眼

私は中学生頃から「地球人とはなんと醜い生き物だろう」と感心しきりでした。大人は合法でさえあれば人を騙したり陥れたり殺したりばかりに心血を注いでいるのが普通なのだと感じたからです。「自分が罰せられないかどうか」だけが基準で、生き方そのものには関心がないように見えました。

 

大人になってからよく考察すると、それは「審美眼」が欠落している人が多いということだと思います。人の容姿、髪型や服装やアクセサリーで美しく見せようと苦心している人は多いのですが、基本的に生き方や存在そのものが美しくないのです。何度も言いますが外観のことではありません。

 

身のこなしが野生動物に比べて美しくないことは小学生時からわかっていたことでしたし、仕方のないこと。考え方や生き方がどうであるかを問題としているのです。自分が摘発や逮捕をされなくても済む範囲で金儲けに躍起になっている、その姿そのものが「生き方」となってしまっていることに今の人間社会に対する違和感があるのです。

 

私は高校卒業後、直ぐに原付免許をとらせてもらいバイトしてスクーターに乗って海や湖の朝陽や夕陽や大自然を毎日眺めに通っていました。その雄大さに恍惚としていたのですが、似た人はいても老人だけでした。他の世代は労働や金儲けに忙しかったのでしょう。

 

美しさを感じる才能を失っていたのなら、社会に順応して自然と醜い生き方となってしまうのです。もはや自分の考え方や生き方が醜いとも感じてはいないかと思われます。

「審美眼」、何が美しくて本質的なことなのかを見極める非物質能力はとても重要です。

誰にでも元々はあった能力なのです。