お知らせ

2018年11月25日

どっちでもいい

若い頃から色々な書物を漁って、医師から見ても「死亡でしょ」と思われる状態を何度か経験してきた私には「人間とは肉体という物質でもあり、非物質のエネルギーでもある」という事を疑いなく確信しています。

 

ただ、マクロで考えると「どっちが正しくてどちらが誤りである」というような性質の話ではないので、このテーマは扱いが慎重にならざるを得ないのです。

 

「物質肉体で生きているうちが人間の全てである」と多くの皆が勘違いする事を前提としてゲームが成り立っている世界なのも事実。その前提をわざわざ崩すと、ある見解では「この世界のゲームを台無しにする暴君が出現した」という事にもなりかねないのです。

 

でも私は、子供の頃から死の恐怖を植え付け洗脳してまで肉体生命の存続だけに価値があるように仕向けるのはいかがなものかと思うのです。自分はそのおかげで「肉体人生とは長く維持する価値はない」ものだとばかり十代の頃から感じていました。

 

「そういう価値観に仕向けたがるのは実はそうじゃないからだ」としか思えなかったのです。戦死や過労死をするまで人間を酷使するためには、そこが重要なのだと高校生頃には気付けたのです。

 

肉体人生に良いも悪いもありません。誰もが色んな体験をするためだけにこの物質世界に訪れているのです。