お知らせ

2018年09月13日

一見不本意なこと

今日は妻が息子を連れて両親と旅行兼仕事に出かけていて一泊してくるようです。特に病院で自分だけが外泊したことはあっても、自宅で独りっきりで過ごすことは数年ぶりです。こんな贅沢をほとんど毎日していた時期もこの人生では長かったわけでして、思う所が大いにあります。

 

今はやっと2歳になった息子の相手を中心に自分の時間は限られているのですが、既に死んでいるはずの自分の肉体に多くを求めても仕方がありません。何をしてもしんどい私の身体は、逆に言うと何をしても結構なリハビリ運動なのです。つまり常時リハビリ中でその時は辛いことに目を潰れば、日常でかつてのように出来る事は増えて行く一方なのです。

 

これが毎日一人で過ごしていたらどうでしょう。痛くて辛い事を口実にほぼ寝たきりの毎日のはずです。今のように必要なら移動して人前で活舌よく話しているはずもありません。だから一見不利だと思える条件が自分を成長させてくれている事はよくあるのです。

 

私が小学校に上がった頃、切り替え自転車がブームでした。周りのクラスメイトは仮面ライダー気取りでガチャガチャギアチェンジしながら自転車に乗って移動していましたが、私だけは常に毎日数キロ走っていました。なぜなら私の自転車だけカッコ悪かったからです。

 

父がイギリス出張のお土産で自転車を買ってきてあったのです。大人になればわかる事なのですが、タイヤの小さい白っぽいオシャレなシティサイクルで「お前には皆より立派な外国産自転車があるだろ」という事で新たには買って貰えず、恥ずかしかった私は「脚力がつくから」と苦しい言い訳をして自転車集団の中を一人走り回っていたのです!笑

 

おかげでスポーツテストの50M走は学年で一番になってしまい、陸上部でもないのにどっかの会場の大会に出場させれたこともありました。子供ながらの恥ずかしさと見栄からきた副産物です。

 

皆さんも思い返せば色々とあるはずです。私がリハビリ病院を退院する際、車椅子は常時必須とのことで自宅近所の介護センターで車椅子リースと介護担当者を決められましたが、私は車椅子を一度も使っていません。

 

医師からしてみたら担当していた患者が退院後すぐに大けがをしたり死亡されたくはないから、自己防衛からもそう言うであろうことはわかっていました。そこで揉めても医師の言う通り、後数ヶ月は低レベルなリハビリを続けさせられたでしょう。ですから、そうするように見せかけて安心させることも大切なのです。

 

患者や生徒やお客様のためにではなく、誰だって何の仕事でも「自分のため」にしていることなのは当然のことです。少し悲しいようですが、それくらいのことは押さえておかなければ「単なるバカ」として生きることにもなりかねません。

 

若い時期は特に「アイツのせいで…」と思いたくもなる境遇に直面するでしょう。でもそれを「アイツのおかげで…」へと変える能力は誰もが持っているのです。自分が倒れた日に生まれた息子に手がかかって忙殺されていたからこそ、医師には信じられないような私の後遺症からの回復なのです。