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心の豊かさとは
2018年08月16日

心の豊かさとは

ひもじい思いすらしたことのない人が多くいるほど、この日本では物質的には豊かに見える文明が50~60年は続いています。

しかし心の貧しい人は増える一方で、そのような人が多くの人に影響を及ぼす立場にいる可能性も当然高まるわけです。

 

物質的に豊かな生活とは何なのか?については、ほぼ皆さんにわかることでしょう。金銭で買える物、家や乗り物や衣服や装飾品や飲食物や娯楽品などを入手したり利用したりすることです。では、心の豊かさとは何でしょう。

 

私が生まれた昭和40年代には、大凡すべての大人が「マイホーム・マイカー・洗濯機冷蔵庫テレビ等の家電」を揃えたり買い替えたりすることを生きる大きな喜びとしていたように思います。高校卒業後は実質フリーター生活の長かった私も「住む家や車や食う飯がない」という経験を多少はしています。でも過ぎてしまえばいい思い出です。

 

端的に言えば「一生懸命労働して、まだ足りていないと考える金品を得る」ことで多くの皆が生き甲斐を得ていた時代は終わりました。飲食店で日々捨てられている充分普通に食べられる料理にも象徴されるように、物が溢れた環境下で物質的な不自由を感じることなく育った世代は「どんなに辛くてバカらしくても金銭報酬を得るためには耐える」なんてことはないのです。

 

「労働しない人、就職してもすぐに辞めてしまう人」が多くなるのは当然です。皆が金銭だけではなく働き甲斐を求めている時代です。ところが実際には労働意欲を削ぐような人ばかりが目につくポジションに就いているわけですから(笑)。

 

そもそも他の誰かの労働によって支えられている人とは、昔も今もどこでも大半はそういう人だと私は思っています。「自分が率先して何かを切り拓いたら皆がついてきた」というのと「コネや資格など利用できるものを駆使して皆を踏み台にしてシステムを登った」というのでは正反対ですが、前者の場合は実に稀だからです。

 

話を戻して「心の豊かさ」についてです。私は貧乏を推奨しているわけではありませんが、人間とは金銭物質的な困窮を体験しなければ、心が豊かになりようもない側面はあると思います。貧乏をすることで益々心まで貧しくなってしまう人が出る、これもまた事実です。

 

大きな災害で生活の苦労を体験した人の口からは「物には困窮したし死人も沢山出たが、心は豊かになった」というような話をお聞きすることが多いのも事実です。

これは、誰もが簡単に病んだり飢えたり死んだりする環境下では人間常に助け合うのが当然で、今の都市部の平穏時のように皆が自分勝手にしていたのでは誰もがすぐに立ち行かなくなってしまうことを意味します。

 

何事からも多くの学びを得ることが人間らしさだと私は感じています。「何かがあって欲しい」と願う一方で「何かだけは起きないで欲しい」と願うのはイジョウで不自然なことです。大局的には、何があっても「あるがままのこれでいいのだ」と思える自分になることが賢い選択なのだと、私「セイジョウ石井」は考えます。