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行間を読む
2018年08月01日

行間を読む

遠藤周作さんの「沈黙」という作品を、私が長年かけて何度読み返しても名著だと感じたため、そのことを投稿したところ「映画で観たらとにかく怖かった」との感想を述べている方がいらしたので、私も気になってDVDを借りて鑑賞しました。

 

そこで私が出した結論は「ほぼ同じ内容なのだが、受ける印象がだいぶ異なるのは事実」ということです。

「行間を読む」という言葉がありますよね。映画だと、まさにこれができなくなってしまうからなのだと私は思います。

 

文庫本を持ち歩いて時間の切れ端を有効利用している方も多いでしょう。すると自然に、筆者が伝えたい事はもちろんですが、登場人物の発言や行動では直接表現されていない部分を推理したり憶測することになるわけです。

 

続きを読むのが楽しみでも、次に時間を確保できるのがいつなのかは大抵が不明ですから、その間知らず知らずのうちに想いを巡らせているということです。ですから時間的には行間読みまくり(笑)。

読者の人生経験によっては何にどのくらい深く想いを巡らすのかも人それぞれですし、良くも悪くも解釈は人によって幅広いものになる…それが読書というものです。

 

ところが映画はどうでしょう。映像とセリフと効果音を含む音で表現するわけです。興業成績を気にしたら俳優とかロケ地やセットも重要でしょう。

すると当然ながら脚本や原作筆者のメッセージ性は徐々に損なわれてしまうのです。異なった作品解釈をしているいろんな立場の人々が協力しあって制作するのだから尚更です。

 

上映中に勝手に席を外したり再生中を停止したり巻き戻したりする人も原則いないわけですから、映画館では「行間を読む」的な行為は全く叶いません。ですから私は以前からDVDを自分の部屋で観ることはあっても映画館には基本的に行きません(笑)。

 

それで、この作品「沈黙」の場合ですと、キリスト教を布教したい外国人と国家権力から隠れてキリスト信仰している日本人たちが次々と異教徒であることを暴かれてジワジワ拷問されて殺される場面がメインの作品です。

 

しかもほぼ史実なので、映像描写ですと「超リアルなホラー映画」との印象が強すぎてしまうのです。例えば現代が舞台でも仮に事故死体ばかり網羅された映画を上映したら「気持ち悪い・怖い」が先立ってしまい、メッセージ性は薄れてしまうでしょう。

同じくこの作品も肝心の「人間社会の営みとは何なのか」「宗教とは何なのか」という哲学部分へ意識が向かない視聴者も出てしまうことがわかるのです。

 

何でも便利だったりわかり易かったりすれば良いわけではありません。少なくとも私はそう感じます。

 

不便だったり難しかったりするから「考える」「工夫する」というような、人間として重要な資質を磨いて発揮できるようになるものだと考えます。

その意味でもつくづく「読書は素晴らしい」と頻繁に感じている私がいます。