お知らせ

2018年06月10日

星のバランス

同じ事柄に対してでも、何を優先するのかによっては長時間熱心に打ち込んだり、逆に関与するのもイヤだったりする…誰だってそんなものだと思うのですが、改めて考えると不思議なことですよね。

 

例えば私の場合、特に健康を気遣う必要がなかった時期には行くこともなかった近所の公園数ヶ所に、今ではほぼ毎日数時間かけて歩きに出ているのです。

 

これは「何とか歩いて移動できる肉体を作って維持したい」という強い欲求があるからできるわけです。深夜早朝の私の状態は、近況でもベッドからトイレまで倒れずに移動するのが精一杯で、リハビリを数日もサボればそれもできなくなってしまう身体なのです。

 

40代で寝ながら糞尿を漏らしたり、自宅での転倒が原因でもっとおかしな身体になることを避けたいのならば、小脳損傷による身体機能の低下を進行させないようにコツコツとリハビリを続けるしかないのです。その甲斐あって、今ではタクシーや空いた電車やバスを利用して一人で移動ができます。

 

乗り物を使わないで何時間かを歩くという行為を健康な時期には「疲れる・時間を奪われる」等を理由に避けていたのですが、それは「体力を温存したい」「他の事に時間を費やしたい」とかの健康時の欲求があったからです。

ところが死んだも同然の体験を経てしまうと「周りにずっと負荷をかけ続けてまで生きていたくはない」「時間を筆頭に既に全てを一度失ったようなものだし、時間を節約してまでしたい事もない」という考えもあって毎日数時間、痺れて痛い足を使って歩くことができているのです。

 

地球の生体系を破壊したり大気を汚染したりする多くの人々も、それ自体が目的なのではなくて「そのことによって金銭を得られる」という第一義を果たすために目をつぶっているだけなのだと思うのです。仮に化石燃料型エンジンをこの世界から無くしたら、少なくとも一時期は失業や生活不便で悶え苦しむ人々で溢れかえってしまう文明です。

 

文明なんぞが栄えて滅ぶのは当然の事ですが「数百年先の地球環境を考慮する」ということが、どうしてこんなに難しいのでしょう。百年先の事でさえも考えている人は少ないでしょう。

 

それは、現社会では「人間は物質肉体なのであって肉体死を迎えたら全てが終わって無となる」と考える人が先進国を中心に地球人口の多くを占めているからです。言うならば「数十年自分だけなんとかなればよい教」の信者です。

 

しかし万人が肉体死を迎えたら気付くことなのですが、これは大規模な詐欺なのです。星のバランスを考慮するような人にとって、今の文明には稼ぐ手段も消費できるようなもの僅かしかありません。「他人や未来なんて知ったことか!」そう信じ込ませることで成り立っている大量消費社会です。

 

表面上で国家や企業の営みをあれこれ指摘したところで社会は変わりません。個々人の死生観や価値観が起点なのです。ですからこのような事を主張したところでうっとうしく思われるだけなのかもしれません。

 

しかし私は人間という愚かな種が、愚行をこれ以上繰り返すことを黙って観ているのが辛いのです。そして、そう感じている人が既に一定数いるようにも感じているのです。

 

大多数が実質「獣」として生きている今の地球人類が、「知的生命体」へと変革する大チャンスだとも私は捉えているのです。

 

「人の本質は非物質である」と語ったところで儲かりはしなくても、大切な何かを失うこともないのです。