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生きる価値
2018年05月03日

生きる価値

生活している中で日々心地よさを感じているのか?、それとも自分の生きている後ろめたさのような、説明のつかない充たされない気分を常に感じているのか?

 

これは上手く言葉にできなくても重要な課題ですよね。

 

子供の頃に読み聞かせられる偉人伝で「これだけのハンディを克服してこんなにも世の中に貢献した」的な物語がよくあります。後々はそのような偉人伝にまとめられる人であっても、当時の多くは「こんなに自分勝手でなりふり構わず周りに迷惑をかけて好きなように生きた人がいた」みたいな印象が強かったのだと思います。

 

自分の社会的存在意義を気にして生きていると「自分には価値がない」という罪悪感のようなものに襲われるのが人の常なのでしょう。

 

皮肉にも、自分に強い無価値観をもっている人ほど努力してカネを稼いだり異性にもてるようにして自己の存在意義を誇示しているように見えますし、自己愛が強いと他人から評価されることへの関心があまりないようにも思われます。

 

自分の存在意義をどう把握しているのか?
…結局はそこの問題なのではないでしょうか。

 

これは実に難しい問題です。経済社会における人間の存在と、金銭とは無関係の人の存在意義とでは、だいぶ定義が異なっているような気がするのです。好印象を抱いている人への好感の理由が、実は自分への経済メリットでしかなかった…突き詰めて考えれば残念でもそんな事だってあるでしょう。

 

経済観念から逃れられない考えで行くと「報酬をもらって当然の行為をこっそり無償で行っている」のなら価値の高い行為であり「誰にでもできることをしているだけなのに金銭報酬を得ている」のは悪く言われることがないとしてもヤレヤレな行為なわけです。そのどちらかに当てはまる行為を自分がしている事実で自分の価値を決めている側面は誰にでもあるでしょう。

 

では経済価値とは無関係な人間の価値とは何でしょう?

 

「人間として存在するだけで充分な価値がある」権利を主張する言葉はあったにせよ、今の日本社会でそのように考える人は少ないでしょう。そこで「価値のある何かをしなくてはならない…」思春期頃にはそのように考える人が多いのではないでしょうか。

 

その頃は既に経済価値観に染まっていますから「学生でなくなったら年収○○以上」とか「結婚するなら資産家の人と」などと普通に考えるようになっています。人の価値が経済価値とリンクしていて当然なわけです。

 

改めて考えると凄いことなのですが、人間の存在価値を経済価値と切り離して考えることが原則ない…そんな世の中に皆さんが普通に暮らしているということです。

 

「親なり会社なりからもらっているカネ、何らかの手法で稼いでいるカネがその人間の価値である」という思想、けっこうイジョウだと思いませんか?

 

カネやモノの所持や所得とは無関係な人間の存在意義を堂々と語り合える、そんなセイジョウな世の中で暮らして行きたい。私は常にそう考えています。