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期限の自主設定
2018年04月15日

期限の自主設定

社会人でしたら「自分の与える印象次第で、社の売り上げや自分の報酬が左右される」…それは仕方ないとしても、まだそんな状況でもない学生でさえ、周りの皆や親にまで好印象を与えるよう努めている人が多い、それが今の世の中です。

 

それは、逆に捉えるなら「一般的に深い関係だと自分では思っていても、長年どっぷりかかわってみなければ相手の人柄云々は語りようがない」ということです。

 

それでも原則はあります。「人間(自分)は、いわゆる悪い事、ずるい事、ひどい事をしてしまいがちだ」と考える人は、自分が「いい人だ」と思われることに比重を置いて暮らしています。つまり「素の自分では人に嫌われてしまう」と考えているのです。

ですから、凶悪事件が起きて周辺住民にインタビューすると「きちんと挨拶もできて普通の印象だった」みたいな声が決まって上がるのです。

 

自分にそのような罪悪感というかコンプレックスがない人ほど、自分に対する他人の評価や印象を気にも留めないで、やりたい事に熱中したりします。

すると「失礼なことでも平気で言う」「損な性格をしている」などと陰で囁かれたりするのです。でも実際は普段どんな人が相手でも、愛情いっぱいで接していたりするのです。

 

上述はもちろん極端な例でして、「人柄がよさそうな相手には気をつけろ!」とか「無愛想なら確実に人柄がよい」と言いたいわけではありません(笑)。何にだって例外はあります。

 

では、セイジョウ石井は何が言いたいのか?

それは「重要な物事とは気長に接する心構えが大切だ」ということです。

私が感じるのは、現代の皆さんは何かとイジョウに結論を急いでいるのです。

 

「諦め」「失敗」「未達」「挫折」等で表される結果は、全てが期限設定の問題であると思うのです。淡々とコツコツ重ねれば数十年で達成できることでも、途中で期限をきめて切れば全てが失敗という扱いとなります。

 

勉強でもスポーツでも金儲けでも、競うことが目的のゲームなら時間を設定しなければゲームにはなりません。それで言えば人生そのものだって、肉体だけで考えれば「死」を迎えるまでの究極の時間設定ゲームでしょう。

 

「人は非物質だから肉体死は実は大した問題ではない」という趣旨をお伝えしたくてあれこれ書いている一連のここのお知らせですが、仮に「肉体死が全ての終わりである」と定義している人からしてみても、肉体人生は平均で80年以上あるのです。

その間に何を成し遂げたいのかは人それぞれですし、人生の時期によって目指す方向があれこれ変わって行くのも、これまた万人共通でしょう。

しかし人生の本質的な事で「数年以内に結果を出す必要がある」なんて事はおそらく滅多にないし、それは「急がなければならない」という環境からの刷り込みによる勝手な思い込みなのであって、実は大したことではないテーマだ、という場合がほとんどなのだと私は考えます。

 

誰にしてみても周りからの影響でそう考えるようになったのでしょうが、結論は本人が期限設定を決めているのです。何をしても多くは失敗に終わるような設定をしているというわけです。

 

実は、「焦り」が本領発揮の大きな阻害要因となります。「常に当たり前にしていることが、焦った途端に上手くできなくなった」…そんな経験に皆さんも覚えがありませんか?

 

一生焦っていては、どれもこれも本領発揮できないまま肉体人生の幕を閉じることとなります。そして皮肉にも、そうなる見込みが濃厚と判断したある時期から、今度は焦って肉体死に向かう人が多いのです。

それが自殺という形を採ることは少なく、病死がほとんどです。「どうせもう自分なんか生きていたって…」そのような想いが病を創出して、物質実現化しているのです。

 

ですから私セイジョウ石井は「もっと大きく広い視野で人生を捉えましょう」と強く提唱しているのです。