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桜
2018年03月31日

桜が満開だと思っていたら、既にだいぶ散って緑の葉が出てきている枝も増えています。

 

「桜の咲くことが、どうしてそんなに飲み食いしてまで騒ぐほどのことなのだろう?」

 

長年私は不思議に思っていました。だって自然界には他にも美しいものがいくらでもあるというのに、桜だけが特別視されているのが不思議だったのです。

 

でも近年はわかるような気がします。(でも人が集まるような花見には相変わらず参加しませんが…笑)

 

何がわかったのかと言うと、桜はまるで人間の生のように、その儚さにおいて圧倒的なのです。

 

冬の間の桜の木はとても寂しくて、目に留めている人はほぼいません。まるで長年ぱっとしなくて脚光を浴びることのない人生のように… それが一気に人目を惹く景観を作り出すのですから。

 

しかもその期間は短くて、あっという間に散って地味な木に戻りますから、タイミングが重要なわけです。

 

当たり前な自然現象だとわかっていながら、皆さんその貴重さを堪能しているのですね。

 

一歳半の息子の歩行練習と私のリハビリを兼ねて桜に関係なく連日公園に足を運ぶのですが、満開の桜を見ても「そんなの当たり前のことだ」と言わんばかりに興味を示さない息子が、落ちてくる花びらにはとても強く反応するのです。

 

動いているからという理由ではありません、動くものは他にも色々ありますから。

 

空を指差して次々と散ってくる花びらを指摘しては、地に着いた花びらに直接触れて何かを話しかけているのです。

 

これは、花びらが非物質エネルギーを発散している証拠です。純粋な子供にはわかるのです。

 

それを見て、私は「まさに肉体人生と同じだ!」と思ったのです。

 

見た目はどうであろうとも、桜の木は年間を通じて桜の木として地道に生存しているのです。そして数日だけ一見華やかな姿になります。しかし地味で目立たない長い時期に耐えるからこそ花を咲かせることができるのです。

 

すぐに散ってしまうのも悲しいことでもなんでもありません。「花は桜でも木は桜じゃない」と思い込んでるから切なくなるのです。

 

人間の肉体死も同じです。誰もが順番に肉体死を迎えます。天変地異や疫病や戦争で一気にほとんどが散ってしまうことだってあります。

 

「どうせ散ってしまうのだから根元から木をなぎ倒しても同じこと」というのはナンセンスな話です。肉体死を無闇に恐れたり、死をタブー視しているというのは、そんなナンセンスな話なのです。それでは綺麗な花を咲かせるはずもないのです。