お知らせ

2017年08月18日

醜さの理由

私は人間の欲求というものについて10歳頃から何かと不思議に感じ、自分のできる範囲で色々と検証してきました。大人になって皆さんが知る有名な話で「まずは生理的欲求を充たしてから…」ということは、おおよそ子供にでも体感からわかることです。

どんなに物事に夢中になったとはいえ「丸三日何も食べていないことに気付いた」とか「便意を催したが50時間は我慢できた」とか「溜め込んだ宿題を済ませるまで100時間以上睡眠をとらなかった」などという子供はいないわけです。幸い私は極寒や空腹に耐えなければならない家庭環境ではなかったため、贅沢な話それがどんなものかを知りたくなったのです。

そこで自分の生理的欲求の実験調査です。どこまで眠らないでいられるかを試そうとがんばって起きていても、いつの間にか眠っていて気付けば朝!何度チャレンジしてもこれは同じでした。

排泄も、トイレで用をたしてから「そういえば!」と思い出すくらい当たり前に身体が動いてしまいます(笑)。

空腹は多少制御できました。ボクシングのマンガに影響され「ハングリー精神を養う」などと小学生にとって無意味でアホなことを公言して、数日間飲み物だけで過ごしたことがありました。後で思えば学校の先生には「子供なのにいったいどんな給食も喉を通らないほどの悩みがあるのだ?」と勘ぐられるのも当然で、誰も居ない部屋に呼び出されて「忍耐力を鍛えている」などと釈明する私に怪訝な表情をしていた先生の顔が忘れられません。

暑さ寒さは慣れてしまえば最もなんとかなったように思います。単純に、子供は大人に比べて生命力が強いというだけのことかもしれませんが…(笑)

話を戻しますと「人間は生理的欲求を充たすことが第一だ」の部分については皆さん異論がないでしょう。実は例外もあるのですが、ここでは「肉体を持つからには原則そうである」とさせてもらいます。それから順次続くとされる「安全・社会所属・評価・自己実現などの欲求は、人によってまちまちである」というのが私の見解ですが、今回の話の趣旨はそこではないため割愛します。

私の言いたいことは「どんな人でも原則、生理的欲求を阻害されると醜さ満点の反応をしやすい」ということです。本能欲求に忠実に生きている人ほどそうなりやすいわけですが、わかりやすく言うと「間接的にでも食欲や性欲や睡眠欲を邪魔する行為には容赦ない」みたいなことです。

動物としての側面を持つのが肉体をまとった人間ですから、その方の普段の人柄がどうであろうとも、そこで急変してしまうのが悲しくも多くの肉体人間なのです。それが今の社会のしくみですとお金を使って欲求を充たすことがほとんどですから、稼ぎに響く勝敗や出世などが絡む場合に動物的本性がむき出しとなりやすいのですね。

複数の動物が同じ獲物を咥えて引っ張り合っている姿が、経済競争の名の下に顧客獲得合戦をしている人間の姿とまんま重なるのです。現実は綺麗ごとでは済まされない、獲物をゲットできなければ動物も人間も生きて行けなくて当然だというわけです。

動物だけれども他の動物よりも複雑な手段を使って生理的欲求を充たし、歪みをとことん溜め続けるているのが人間でしょう。少なくともほぼ全員がそれを容認して参画しているから、維持できている人間社会のしくみです。そんな獣のような人間の行いを見ていると、私は醜さを感じずにはいられないのです。

そんなヤワなことを感じていたのでは、この世界では弱者で終わって当然… 実際、とんでもなく醜悪な人間が大手をふって活躍してきた歴史があります。でもそれは物質面での話です。人間と他の生物とでは非物質面に著しい違いがあるのです。

肉体生命維持のためならなりふり構わず必ず何でもするという醜い人間ばかりではありません。必然的に無名となってしまうわけですが、いつでもどこでも美しい生き方をしている人間だって存在しています。

人間の非物質側面に皆が気付けば、物質人間社会だって大きく変容せざるを得ないと思うのです。