お知らせ

2018年04月08日

記憶のありか

今日、1歳半の息子を連れて妻と近所の公園に行き、子供用電動(バッテリー)列車に乗りました。ミニ車両なので扉がなくて跨いで車両に乗り込む他ないため、今の私には文字通りハードルが高く(笑)今まで見送っていたのですが、体調も陽気もよい本日、初めてチャレンジしたのです。

 

息子の横で一緒に揺られていると、私が1~2歳頃の、記憶にないはずのビジョンがあれこれ蘇ってきました。

 

既に他界している私の父は、自身が末っ子として生まれた直後に母親を亡くしており、5人いた兄も皆腹違いで冷遇されていたが唯一、歳の離れた姉が母代りとなって育てられたため「子供(私)が生まれたことを大変喜んでいた」と、同じく他界している母から、私が若い頃に聞かされたことがありました。

 

そんなことを思い巡らせていると、1~2歳の自分が父の横で遊園地の乗り物に乗って騒いでいる場面がフラッシュバックしたのです。

 

「記憶とは脳の機能である」となっている現代で主流の考え方は、人間をまさに機械として見ているからそのような発想になるのです。だとしたら、PCのハードディスクやCPUがどうのこうの… 機械の性能ばかりがフォーカスされるのです。

 

確かに従来の受験などで必要とされる暗記力は左脳スペックに大きく依存しています。ところが動画や音楽など情報量が多い場合、異次元に存在しているデータベースに右脳でアクセスするのが人間本来のやり方なのです。

 

今では一部学習塾でも取り入れられているくらいの右脳活用法ですが、対象は児童ですし、相変わらず受験のためだけにそれが活かされているのです。

 

私が毎回イベントで皆さんに体験してもらうのが、実は受験のためではない大人対象の右脳開発なのです。異次元の自分自身へのアクセス方法のコツを解説しているのです。

 

異次元の非物質界は「空間」ですらありません。そこに長短や大小の概念はないのです。

 

そして更には「時間」の概念もありません。この物質世界では数千年前の出来事や数十年後の事でも、今として認識されます。

 

ですから「いつどこでの体験なのかもわからない、たった今さっきの経験が、実は過去や未来の自分であった」ということが普通に起こるのです。