お知らせ

2018年01月30日

第一印象

新しく知り合う相手の第一印象次第で以後その人との関わり方が大きく異なる、というのが一般的でしょう。私のように「人間の本質とは…」みたいな事に常に興味を抱いている変わり者を除けば(笑)

だからこそ、初対面の人に自分が好印象を与えられるよう細心の注意を払うことを必須とする職種は多いですし、プライベートでも会う人会う人に「イヤな人・変な人」などと思われないよう努力するのも普通のことでしょう。逆の言い方をしますと、最初のイメージと長年付き合ってみた実態のギャップが大きい人がとても多いのです。これは善悪とも正誤とも無関係です。

 

経済最優先社会においては、悪印象を持たれた時点でお金を落としてもらえなくなるのですから、利潤追求が目的の組織、つまりほぼ全ての法人に属しているかぎりそのような教育を受けることが当然なのです。

ですから社会人として歳を重ねると、それなりに見えてくること。それは皮肉にも「正体がばれたらマズイ人ほど印象を取り繕うことに躍起だ」という事実です。誰だってこのことがわかってくると、法人であれ個人であれ相手の見方も変わってくるものです。特に近年、世の中そうなってきた感が私には強いです。みなさんはどうお感じでしょう…

これは、綺麗ごとを謳っている人ほど胡散臭く感じられる一方、一見飾ることなく地味であってもする事さえしていれば「嘘偽りがない」証であり、その、している事の質次第では信頼のブランドに充分なり得ることを意味します。

要するに「質」の時代に入ったのだと思うのです。身近の誰が何と言おうと、自分の提供する何かしら(物質とは限りませんし、それがいくつなのかもわかりません)の質を磨いて行けば間違いないのです。

取り繕うことは、努力虚しく何も実りません。しかしそれも経験してこその学びです。

今の社会システムに上手く乗っかって暮らせていても嘘偽りで固められた人生は、一生常に迷いの中にあるも同然… 本人が最も苦しいのです。

若くても飢えや病気で物質生命を維持できずにポロポロ肉体死に至って当然だった時代や場所は常にあったでしょう。しかし金銭名誉的に何ら困ってなくとも人生に迷っている方がこんなに沢山いた時代はあまりなかったでしょう。

迷うのも、本人が「迷い」を選択した結果なのですから、周りが「迷うな」と言うのも大きなお世話です(笑)。それに何より、迷っていられるだけの余裕がある!

だからこそ今の時代を肉体で生きることは面白いのかもしれません。