お知らせ

2017年06月08日

愛がすべて

今の世の中、何らかの数値達成や特定の状況変化を目標に頑張っている人も、逆にそのように目指すべき目標が無いことを気にしている人も、「目標」という単語に無反応な人は少ないでしょう。ところが根本に立ち返って考えてみると、具体的な目標とまでは言わなくても、名前があって暮らしている万人に確実に該当する人生の目的とは、物質地上世界で肉体を有して生きることです。

皆さんは当然であると感じているのかもしれませんが、実はものすごく特殊である「物質世界での生活」というものは、肉体のない一般的な知的生命体では経験できない条件に溢れています。

その最たるは「時間・空間」という縛りの体験です。

それがどういうことなのかを卑近な例で挙げるなら、目の前にDVDソフトが何百枚もあったとして、それぞれの作品の凄さ・楽しさ・爽快さ・悲しさ・虚しさ・怖さ・感慨深さ…等々の説明書きをどんなにじっくり読んだところで「実際に作品を視聴してみなければ価値は生じない」という意味です。それがどんな内容であっても、各作品の視聴体験そのものに意味があるのであって、誰がどんな作品を製作しようと、どの作品を視聴してどんな感想を持とうとも、全くもって各人の自由です。他人の作品をどうこう言う必要もありません。

人間にエゴがあるということは、それぞれ個別に独立した作品があるということ。 

皆さんが子供の頃から「命の大切さ」のような言葉を見たり聞いたりして育ってきたと思うのですが、私が思春期の頃には「そう言いながらも、地球人類とは常に殺戮や環境破壊に励んでいる変わった生物である(笑)」という事実の不思議さに圧倒されました。でもそれは「命」の定義から由来しているのです。

 「物質肉体でなければ生命ではない」という思想を信奉している人々によって発展してきたのが今の文明なのです。

人間の氏名をはじめとする固有名詞がこれだけの意味を持つのは、時空に縛りつけられた物質世界だけです。ですから「その氏名で呼ばれる肉体が機能しなくなれば生命ではない」という奇怪な考えが普遍的となるのが今のグローバル社会なのです。自然下に生きる動植物にとっては、その物質死も含めての生命の営みですが、人間のペットとなって名前がついた時点で「肉体死は悲惨だからと無闇にそれを避けようとする」人間のエゴシステムに組み込まれますから、外見は自然動物であっても非物質的には種類が異なる生物と考えるのがよいでしょう。

物質世界で使われている言葉「愛・慈悲・ワンネス」のような表現は、物質偏重の思考から抜け出せて初めて理解できることです。人間の五感では動いていることが認識できないような土も空も石も水も、物質はもちろん非物質もすべて「命」であり、生きています。個別の認識ができない世界では当然、すべてがつながっていて切り離すことは不可能です。そのことを「宇宙はすべてが愛でできている」というように表現されるのです。

だから「愛がすべて」なのですね。
宇宙を構成する材料「愛」の基本は非物質ですが、そこには一部物質も含まれるということです。