お知らせ

2018年05月18日

意識状態

一昨年の夏に脳幹出血による意識不明の重体で集中治療室にいた私は、医師から「おそらく間もなく死亡するであろう」と予測されていたようですが、その時の私の非物質意識は忙しく活動していました。あまりにも膨大な情報量なので簡略に説明できるものでもありませんが、皆さんにも理解しやすいであろうごく一部をここで公表しましょう。

 

病室からそのまま上空500mほどの位置に自分が浮いている景色が見えました。羽をばたつかせていたとかではなくて静かにホバリングしていたイメージです。ほどなく下界には存在しないようなかなりの高さの高層ビル上層階で空飛ぶタクシーみたいなものに乗車しようと何ヵ所かで試みるのですが、なぜか乗り物が見つかりません。仕方なく地上に近い標高を走るタクシーに乗車しています。それでもタイヤが地面に接している様子はなく、浮いた状態で移動していたようでした。

 

今住んでいる場所を説明して行ってもらうのですが、街の様子は数百年先設定の映画シーンのような無機質な雰囲気です。家らしき場所に到着したのですが私は家の中に入れません。施錠のようなセキュリティが今の下界で普遍的なものではなく、その辺りが原因で開錠できなかったような印象です。

 

この世界での私の父が、引っ越しをした直後に突然死を迎え、その際に旧住居の室内を意識体でウロウロしていたことを妻の霊視で確認済みなのですが、人間は肉体死を迎えると一旦は家路に着く習性があるようですね。どこが自分の家なのかという定義が曖昧な人は帰る場所に難儀するのかもしれません(笑)。

 

つまり私は一旦、医師の予想通り他界したのですが、行った先で何らかの理由で次のステップに入る事ができず、仕方なく肉体のある世界に戻って来たのかもしれません。肉体意識が戻ってしばらくは、全身のしびれと痛み、目がほぼ見えない、手足も動かせない、といった現実よりも「今自分はどこの世界にいるのか?」という不可解さが大きくて、何かを心配したり困ったりしている余裕はありませんでした。

 

臨死体験中の意識体での活動は、生きている肉体意識での感覚以上にリアリティがあったため、肉体意識で捉える自分や世界の実情が軽薄に感じられたとでも申しましょうか…これは事故や病気で死にそうな人に限った話ではなく、外見や物質的状況からは判断できない意識状態のお話なのです。

 

服装や髪形やメイクをはじめとする物質的なことに無関心な方々は、それくらい濃厚な非物質リアリティを生きている可能性があるのです。これは誰にとっても自分の人生にも当てはまることでしょう。俗に言う「なりふり構わず」とは、そんな濃厚な意識状態なのです。

 

見た目や物質的なことに意識を奪われていませんか? それらを生業にしている方には恐縮ですが、人間の本質は非物質の意識体なのです。肉体の外見などで悩んでいるのならば、言葉は悪いですが今はそれだけ軽薄な人生になっている証拠なのかもしれません。そうは言ってもシャワーや着替えをして清潔を保つことは重要ですよ!笑

 

明日開催するイベントも、参加者に濃厚な意識体験をしてもらうことが目的です。外見云々で言うのならば、そもそも人間ではない自分を認識する参加者も毎回いらっしゃるのです。