お知らせ

2018年02月13日

僅かに見えて大きな違い

自分にとっては凄く大きな変化であっても、周りからしてみたら気付かないくらい些細な変化だったらしい… そんな経験を皆さん幾度となくされてきたのではないでしょうか。

「関心事が違う・同じ関心事でも視点が異なる」等々、いくらでも理由は挙がるでしょう。それが男女なら、その言い訳にいつも苦労している人も少なくないはず!

さて、いつもの観点で書きましょう(笑)

それは、外見上の変化などより内面の心理的変化から感じていることなのでパッと見でわからない、つまり本人だけが感じている大きな変化であることが原則だからです。どういうことかと言いますと、ベタな話ですと髪型や化粧を含めたファッションがまさにそうです。

すれ違って視線を外したり、逆に凝視してしまうような極端な例はこの際外しますが、例えば、ずっと嫌っていたデザインの上着がひょんな事から気になってしまい、買って身に付けて外出したとします。街では特に目立つこともない色と形と素材で、いつも会っている仲間は何も言わなくても「相変わらず無難で一緒にいて安心できるファッションだな」と感じていたとします。

ところが着ている本人からしてみれば、凄く思いきった格好で外出中なわけです。「過去のこだわりを払拭できた」とか「好みのセンスがこんなにも変わった」とか「昔ならユルせなかったこんな服を買ってまで着ている、寛大になった私」とか…笑

いずれにしても自分では心理的に凄い変化なのですから「アンタはこの大変化に気付かないってわけ!?」くらいに思ってしまうのですね(笑)

ファッション以外でも、いくらでも例を挙げられます。

そうです。「外見等の物質的変化はほんの僅かであっても非物質的には大きな変化」とは原則、本人にしかわからないのです。しかしそれは実際に途轍もなく大きいものなのです。ですから長年低頻度で接している人になら「あの頃から変わり出した」とわかることがあります。

そして、そのような機会を重ねて次第に見えてくることがあるのです。それは「誰にでもすぐにわかるような変化は真に深い変化ではない・人間の内面とは、他人にわからせようしても簡単にわかってもらえるはずがないし、また、そうする必要も全くない」…

上述を「若くして悟った」みたいに早とちりしてしまうのが「ひきこもり」だと私は思うのです。

そこでもうひとふんばりしてほしいのです。物質世界では時間が掛かりますが、ほんの僅かであっても「感じること・言うこと・すること」を変えて根気よく継続していれば、それは必ず伝わって結果的に人間関係を筆頭に大きな物理環境の変化を確実に起こします。

「ある特定人物を理解すること」は、万人にとってかなりハードルの高いことなのですから「自分を理解してほしい」など叶わなくて当然なのです。そもそも、大抵はそういう本人自身が自分を理解していないのですから!笑

ちょっと見での人の印象は、後で思えばほぼ誰でも「思い込みだった」と感じるものです。

ですから変な話ですが、私の記事を読んだりイベントにお越しくださった方々の反応は、薄い方が嬉しい部分もあります。仮に(本当に仮の話ですが)何かが見えたとか聞こえたとかで大騒ぎしている人が出たとしたら「物理現象に近い側面に注意を引かれて内面変化にまで導けなかったのか…」と思ってしまう(笑)ということです。(肉体をお持ちの方でも既に十分変化に富んだ領域に日常的に達していらっしゃる方で、遠慮なくごく普通に接してくれる方もいます。何事にも例外はあります)

自分が変化成長していることを誰かにわかってほしければ、その新しい自分がすることを継続することで物質世界に表現し続ける…回りくどいようでもそれ以外に方法はないのです。そしてそれがこの世界にいる意味です。すぐその場での反応を求めるのは、赤ちゃんだけの特権です(笑)

皆さんが後年になって思い返してみて「あの時期に出合ったあの人が今の自分に最も影響を与えた」という人物、誰かしら思い浮かぶでしょう。その方が他界しているケースも多いでしょうが、それが良い影響だったと思うのならおそらく、その方はこの世的に目立たない人である可能性が高いのです。赤ちゃんみたいに派手な何かに反応して騒いだりふてくされるのも素直で結構ですが、一見地味だからこそできる深くて静かな生き方に魅了される人が増えているように思います。