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緊急度における錯覚
2017年07月05日

緊急度における錯覚

社会人の皆さんなら、重要度と緊急度をマトリクス(表)にした時間管理術をきっと見聞きしたことがあるでしょう。意識して実践している方も多いことと思います。

何が重要なのかは人それぞれ。特に労働時間外ならば口を挟むのも大きなお世話でしょうから、重要度の話は脇に置いて、私が常々感じるのは緊急度の設定がおかしい人が多いのでは?ということ。つまり少数派の意見となりますが、これについて少し書いてみようと思います。

誰の人生にとっても、惑星の文明や生態系全般にしてみても、この物質世界では重要な案件ほど着手してから成果があがるまでに時間を要する傾向があると思うのです。この考え方で行くならば、最も重要なテーマの取り組みには最も時間を要すると判っているわけです。即ちそれを真っ先に着手して継続する姿勢がなければ、些細な物事はあれこれ達成できたとしても重要なテーマとなるほど未着手のまま、もしくは時間切れとなって当然だということです。

「結果がすぐに出ないことは緊急ではないこと」と見なして後回しにしている人が実に多いということなのですが、私はそれを逆にする必要があるのではないかと考えるのです。

卑近な例ですと、買い物をする際に懐事情から金額が高いだの安いだのと神経質になっていたとします。ところが、そもそも必要でもない買い物をする悪癖を止めた場合、どれだけ飛躍的な節約となるのかは判っているのだが、その慣習を変えることが簡単ではないから、浪費癖自体を無くす工夫は選択肢から除外している(笑)…といった具合です。

思春期に入って「環境・資源・人種・権力」などの諸問題に関心が向くようになってから、私はそのことに気が付いてしまい、これらの過ちを大人たちがをこぞって実践していることが不思議でなりませんでした。しかし、それこそ一人ですぐにどうこうすることもできない社会問題ばかりでしたから、私は常に人間社会の矛盾に対して憤りに近い感情を抱え、人間社会全般を軽蔑したまま成人しました。かといって天使や宇宙人が救いに来てくれることを願っていたわけでもありません(笑)。

自分も今はその人間をやっているのだから、人間社会を軽蔑したところで生きることが辛くなるだけです。そこで打開策を求めてあれこれ探究した結果見えてきたこと…

どうやら根本原因は先進国とされている人々の死生観にあるようだとの結論に達したのです。世の中を大きく動かす立場にある人が、肉体死を迎えれば何もかもが無に帰すというカルト信仰(笑)で人生を送っているのならば、世の中にどんな歪みが生じても自分の余命残り時間だけ誤魔化し通せればそれでよいわけです。どうせ自分はもうすぐ死ぬんだから子や孫や曾孫の世代の社会なんてどうなろうが知ったこっちゃない!それがこの世界の高ポジションを占める方々の本音だったというわけです。

前世紀末から、上記カルトを信奉しない人間が増えてきました。「自分の肉体を富ませるためなら何でもする」という人ばかりではなくなってきているのです。それが儲からないことだとしても、地球環境や人類のあり方に興味関心を示す人が増えてきたのはとても嬉しいことです。「こんな世の中でも、これまで肉体生存してきた甲斐があった!」大袈裟でなく本当にそう思える変化を私は感じています。

ですから私は、人間の本質が非物質であることをコツコツお伝えしています。それが宗教の経典のようなマニュアルや誰かの言説だけでは必ず誤解を生じますから、ご自身の体験で探究してみてくださいとの趣旨で私が開催しているのが【高次元波動体験会】です。

無音の静寂の中で瞑想をすることは現代人一般にはハードルが高いため、現在はクリスタルボウルの演奏に意識を傾けるという手法を取っています。そうすることでも自分の本質が肉体とは別の非物質存在であることを充分に体験できるからです。図らずも、私が若い頃には願ってもいなかった「天使や宇宙人に遭遇する参加者が続出している」という事実は、なんとも皮肉で面白い現象ですね(笑)。

地球人類の行く末がどうとかそんな大仰なことではなくて個人の人生の指針でも、向かう先がおぼろげでもよいから見えていることが重要かつ緊急なのです。ハッキリとした目的が何で、具体的にどんな手段でどんなルートを辿ることとなるのかは、動き出してから決めればよいことです。「詳細の何もかもを詰め切ってから動き出そう」と考えることは、ずっと何もしない、もしくはチャンスを逃すことを意味します。

予定を勝手に決めたところで何度も変更を余儀なくされるのが物質世界の人生ゲームなのです。このゲームには絶対的な時間の制約があるようでいて実は時間も空間も錯覚であるということ。そのことも、非物質として得る経験から誰にでも気付けることなのです。