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知性の在り処
2017年01月06日

知性の在り処

皆さん、正月気分も抜けて平常の生活に戻っていることでしょう。
以前、人間の肉体をハードウェア、意識体をソフトウェアに喩えた話をしました。そして昨年夏、私はハードである肉体の致命的な故障をきっかけに移動もままならぬ足腰となり、瞼を開けるのが辛いほどに視界は常に乱れており、繊細な手先の感覚も失ったため、かつて好んで興じていたような身体を使う趣味はほとんど不可能となりました。ハードのスペックがガタ落ちしたというわけです。それでもかろうじてソフトをインストールし直すことができ、しばらくすると、故障前と変わらず使えるようになったソフトも多くなった、今はそんな状況です。モバイルノートPCが故障してしまい諦めかけたところ、固定デスクトップPCとしてなら、かなり機能が限定されるけどまだ使えると判明した…そんなところでしょうか(笑)。

写真は飼育している淡水エイです。私が入院中、妻では対処しきれずに淘汰されて行く魚たちの中、数ヶ月後にも生き残っていた個体です。
いい歳をして珍しいのでしょうが、私は田舎に暮らしていた幼少期に、田んぼの小動物や草むらのテントウ虫などの昆虫を見つけては興奮していた、あの頃の好奇心を失うことなく今でも維持しています。このデザイン!シンプルな色、キュートな模様、幾何学的な形・・・いかにも仲間のデザイナーが創ったもののように感じませんか?

私は俗に言う「かみさま」にとても親近感をもって子供時代を過ごしたのです。たまたま同じ家や学校で姿が見えないだけで「かみさま」は身近な仲間。誰かが「美しい」と思えるものを創っても肉体生存の記録がなければ神様。つまり、固有名詞が無い状態の人の本質「意識体」を神と呼んでいるのだと思うのです。肉体で生きる人にとって肉体のない個性は神。現在の地球人では理解不能な知的存在は神。自分の子供となる肉体を招致するのにも「子宝に恵まれますように」と神に祈る人が普通にいるくらいですから(笑)。

人間は肉体を有して暮らしていながら意識体でもあるのですから、実は誰もが神でもあるんですよね。逆に「物質肉体が機能している間だけが人間だ」と断言して、故人の意識体に全く敬意を払わないような人には神性が宿っていないと言えるわけです。でも大多数の人にとって、意識体(神)は自分と密接な関係なのです。

知性とは、この世もあの世も関係なく遍在する意識体の特性なのだと思うのです。
そしてその知性のことを、人間は神と呼んだりしてきたのではないでしょうか。