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日陰と日向
2017年07月14日

日陰と日向

1970年代、小学校に通わない子供は原則いなかったと思います。当然のように、学区というものに従った小学校に私も通いました。田舎ですからのんびりしたもので、同級生をライバル視したとしても一部の生徒だけ、中高生になってからだと思います。

珠算や習字、ピアノやエレクトーンなどの教室を開いて商売をする大人は田舎でもいましたから、習い事をしている子供はいました。でも受験ビジネスチェーンがまださほど参入していなかったため、学習塾に通う小学生が存在した記憶はありません。

小学校は友達が集まる楽しい遊び場所であり、登校するのが楽しみな時期が数年は続きました。漢字や数字、理科や社会での固有名詞あれこれを覚えられることは有意義で、授業が無駄だと感じたこともありませんでした。本人の成績や家族構成とは全く関係なく皆でテレビ番組から得たネタや近所の時事ネタ、誰かのモノマネなどで毎日ワイワイ騒いでいました。

しかしそんな無邪気な時期もずっとは続きません。4~5年生になると徐々に世の中の不条理さに気付くようになってくるのです。これは当時の田舎で情報も少なくて発達の遅かった私の場合ですから、今時なら小学入学頃の子供が普通に抱いている感覚なのかもしれません。

まずは、授業の内容が「くだらない」と感じる比率が高まってきます。それが本当に真実なのか?とかは置いといて(笑)これを憶えたところで何なの?的な授業が増えてくるのです。そして、大人の習性が刷り込まれた発言や行動がクラスメイトの中でも目に付いてきます。

子供ながらに露骨な表現を避けたとしても(それは返って大人のような陰湿さか!?笑)ひとりひとりの相違を問題視するようになるのです。「○○は目立ちたがり屋」「○○はカッコつけ」「○○はバカ」「○○は運動オンチ」…といったことですね。個性的であることは、まるで「悪」。私が数年後に猛烈なイジメに遭うための布石がそこで打たれていたのです!(笑)

名前を大きく書いた名札を縫いつけた、軍服とも体操着とも囚人服ともつかない同じ制服を皆が年中着ていました。明らかに学童の服装ではありません(笑)。後で思えば相手が田舎の子供なのをよいことに、戦後30年も経ってにそんな工業規格製品のような扱いを人間に強いているのですから、規格外が鼻につくような狭くて閉じた感性が子供にも自ずと育まれてしまうわけです。

私にとって最も不可解だったことが、雰囲気が貧乏っぽい子や成績全般で劣るとされている子が必ず嫌われることでした。スパイのように実情をちゃんと調べたわけではないでしょうから(笑)あくまでも「そう見える」ということで、本当は資産家だったり高い知能の持ち主だったのかもしれませんが、どうであろうとまだ子供なのですから本人が好き好んでそのように見せているわけではないのです。 

私は実弟が知的障がい者ということで特別養護施設に預けられていたので「もしこの場に弟がいたとしたら…」と思うといたたまれなくなり、そのような偏見で蔑まれている同級生を男女かまわず庇ってしまうところがありました。すると、その庇う行為が「変わり者」であると見なされるのです…何の得にもならないからでしょうか。

そんなことが重なって、私は人間という生物について分析する性向が強く出てきたのです。大人の見地からすると「生物は弱い者を餌食にする習性がある」という当然のことですね。長年生物観賞を趣味としてきたので、これはよくわかります。魚同士でも、小さかったり弱っている個体を真っ先に突き殺したり吞み込んだりして餌とするわけです。魚に限らずこれが物質生物の自然淘汰です。弱い者は排除される…では、人間社会の在り様も果たしてそれでよいのか?ということです。 

それこそ小学校でも「人間は他の生物とは違って特別だ」などと教えられます。「知恵があって思いやりの心を持つことが人間らしさだ」みたいな話ですね。でも実態は皆さん知っての通り、他の生物の比ではない同種間での殺戮・支配・搾取を繰り返して歴史を刻む残虐さ。それが武力なのか経済なのかの変化はあるものの、確かに人間は特別な生物です!(笑)

社会組織の中で歴代優位に立ってきた方々の人間性を見れば(良く見せようと努力しているのでしょうが)わかることです。創業者や自営業者なら該当しない場合もありますが「正直者がバカを見る」との言葉の意味が誰にでもすぐ理解できてしまう、そんな世の中に上手く馴染めない人は、果たして本当にダメ人間なのでしょうか。

近況、そこに逆転現象が起きはじめています、とはいってもまだ一部。弱者を踏み台にして稼ぎたくはない、非合法ではないとしても、嘘と偽りにまみれた他人を騙すような日々を送りたくない…そのような理由から今の社会に居場所を見つけられない、まともな人々が自ら道を拓きはじめて賛同を得ているのです。今はまだ目立っていない予備軍の皆さんが、これからも日陰に隠れ続けている必要はもうないのです。

タテマエとオンネの使い分けが必須の世の中。子供の頃からそんなことを考えるまでもなく身に付け、家でも学校でもタテマエとホンネの切替を駆使して成長してきた…そんな社会の中にでも、嘘や偽りのない人々が日向で堂々と生きられる場所を皆で設ける。今ある社会の中にそれを創出することは、そんなに難しいことではないと考えます。

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