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損得勘定は不可能
2017年06月23日

損得勘定は不可能

都市部で生活している人ほど、日々の生活の中で「無駄な…」「もっと有効な…」といった類の思いがひっきりなしに湧いてきて、自分の事でも他人の事でもあれこれ考えたり気になったり口を挟んだりしていることでしょう。

今の日本は基本的に資本主義経済です。何もかもが出資した人の利益を生むための活動であり、損失を出さない(自分のお金でなければ平気で出します!笑)ための努力と工夫、「効率」がテーマの競争社会であることが前提です。

誰もが子供の時からそのような大人や社会を見聞きして育ちますから、大人になるほど「得」になると思う行為には時間やお金やエネルギーを費やしますが、「損をすることはあっても得にはならない」と推測することには無関心。得するとは思えないそれを知ったところで「関わらないようにするのが賢い生き方だ」と考えるわけです。私も思春期には「悲しい現実だけれども、この世の中はそういうものだ」と、与え合うことで成り立つ理想社会とは切り分けて捉えていました。

ところが、人生経験の中身によって個人差はあっても、年齢を重ねる事で判明してくる「この世の法則」とでもいうべきものがあります。それは何が無駄で何が有用かは、その時点ではわからないという法則です。その時にその事があった意味は、まさに肉体死を迎えてみるまで総括できないのです。

改めて考えてみれば、万人が納得の法則ですよね。その時々で少なからず誰もがしてしまう損得勘定。これ、実は肉体をもつ人間には不可能な事なのです。「こうなるとわかっていたのならば」…肉体をもつ皆が、何かしらそういう思いで暮らしているのではないでしょうか。

人生の全てが計算通りに推移したのなら、もう神か仏です。逆に言うと、経験と学びを与えるため、人間にはそれができないようになっているのでしょう!にもかかわらず、得をすると思い込んで行動してバカをみたり、損をしたくないとの思いが足枷となって行動せずに大きな宝を逃して生きているのが、私を含む凡人の実情(笑)。

それでも、試練を多く乗り越えて生き抜いてきた老人は、若年者の合理的思考では及びもつかない「生きる知恵」を有しているものです。昔から世界のどこでも「こんなヨボヨボの年寄りが?」(失礼!)てな印象の老人が地域の長だったりしたのは、そんな事情があるからなのですね。いくら知識だけを詰め込んだところで「賢人」にはなれないのです。

何度か救急車で運ばれて頭蓋骨をくり抜いたり植物状態になって生命維持を危ぶまれたりした末、思考力は戻ったにせよフラフラ歩くのが精一杯の身体となった今、私はたったの半世紀も生きてないくせに、すっかり老人の気分(笑)。

ひきこもりとして扱われている人は「学校や会社に行ったところでする事は山ほどあれどする事など何もない」…総合的にそう判断しているのかもしれません。更に言うなら、生きていること自体に何のメリットもないのでは…そう感じている人も少なくありません。学校でも職場でも、毎日通う場所ではすぐに役立つとはかぎらない生きる知恵など誰も授けてはくれません。

それが社会風潮だからとはいえ「損得勘定以外に生きる指針はない」という価値基準を植え付けられても、そこに賛同できない人々が利害を超えた何かに興味や関心を向けるのは自然なことです。

明後日25(日)新橋13:00~。ぜひお話を聴きにいらしてください。
ひきこもりとは、善悪・正誤・優劣・加害被害などの単純構図ではないこと、即効性がないとしてもジワジワ効いてくる克服法がテーマです。そしてよろしければ、あなたのお話もお聴かせください。