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変化の時期
2017年12月03日

変化の時期

自分が生まれ育ったその町の住環境が基準となって子供時代を送り、10歳前後に他の町や市や国や星の存在を知る… 過去を振り返れば、みなさん大凡そんな具合ではないでしょうか。
親の都合であちこち転々とされた方もいらっしゃるでしょう。時代に翻弄される象徴である戦争によるもの以外でも、概して子供には理解できない大人の事情によるものが引越しです。それらは、せっかくできた友達との別れをはじめとする辛い記憶として残っているのかもしれませんが、私は「見識を広める・視野が広がる」という観点では貴重な経験だと思います。

子供の自由意志だけで叶えられることではないという意味で、高校生になるまでは原則町を出ることがなく狭い世界しか知らずに育った私には、同じ10代半ばでも知っている物質世界の範囲が広い人が羨ましくもありました。それは何故かと言いますと、知識では吸収できても体感を伴う経験によってしか得られない感覚を、早い時期から養うことができるからです。その後の実体験からしても「暮らし」とはそういうものです。

その分、いつも空想世界では大きく羽ばたいて少年期を過ごすわけですが「おかげで想像力が豊かになった」と思う反面、同じ高校生でも空想壁だけではどうにもならない物質世界の生活力で随分と差が出てきているのです。「そんな物理的拘束がイマジネーションを逞しくしたからこそ、それを活かした職に導かれる」といった例も多いですから、私は一概にこれが問題であると言いたいわけではありません。

転居の変化は星の緯度や経度に伴う気候の違いに限ったことではなく、飲食物、話す言葉など、それまで微妙な違いだと思っていた生活習慣が実はとても大きな違いだったと認識できるのは、肉体ごと移動したからこそなのです。空気感なんて言葉が日常的に使われているくらいですから、その場所の空気が最も大きく影響するでしょう。

もちろんここでの空気は大気を構成する酸素や汚染物質等の量ではなくて物質としては説明のつかない何かを、便宜上「空気」と呼んでいるだけです。隣の家に移動するだけでも外国に行くのと変わらないくらい非物質エネルギーの変化が出ることもあったりするのです。

この話題を今出した理由は、ここ数ヶ月の私自身が土地のエネルギーに関する重大事を物理的に実行していたため、思いのほか継続的に消耗して情報発信が疎かになってしまったからです。それだけその事に意識を集中させたかったということです。

私が元々死にそびれ(笑)なだけに「リハビリに失敗して何かあったのではないか?」等と勘ぐった方がいらっしゃるかもしれません。実はむしろ反対で、移動などの日常的な負荷に耐えられる平均的肉体へと戻りつつあるということです。とは言っても戻りつつですので、かつてと比べたらまだヨレヨレですが…(汗)

話を戻しますと、いくら映像や音声を入手できても、その場に肉体と非物質の自分(セット一式)がないと得られない経験をするというのがこの物質世界の人間の面倒くささであり、面白さでもあるのです。体外離脱を制御できる人の場合はその限りではありませんが、逆に言えばそれではこの物質世界に存在する意味がなくなってしまいます。

ですから皆さん、肉体を有して生きる煩わしさを積極的に楽しめばよいのです。 

瞬間移動ができなくても乗り物での移動中に意外な喜びがあります。私のように自転車も乗れなくたって車椅子やヨレヨレ歩きでも紅葉は見られます。私のように漏らすリスクが高くても(笑)糞尿をたれる情けなさに気を取られないで飲食物を味わいましょう(量ではありません)。感じられる範囲で音や香りを堪能しましょう。どこかに痛みや辛さががあっても眠りに就ける時があるのなら、それも毎日必ず訪れる至福の瞬間です。

生活を変えることが上述の諸々の感覚を養います。すなわち幸福感度を発達させるのです。ですから場所だけでなく、若くて早い時期にあれこれ変化が多かった人ほど晩年は幸福感が強くなる傾向があるのです。

皮肉にもそれが裏目に出て「だからもう変化はしたくない」という頑固さに陥ってしまうケースもあります。それでも若い頃に変化を沢山経験していれば、晩年の変化にも大概が対処できます。

暮らしの変化に対して免疫がない人は「何歳になっても人生の節目を上手く乗り切ることができない」といった具合になりがちです。つまり、それは晩年になるほど「人生こんなはずでは…」と感じやすい人生であり、それが近年の親や教師が子供に強いている暮らしです。そして、その甲斐あってか(笑)十代二十代から実際に不幸感覚いっぱいで生きている若者も多いようです。

「若いうちに苦労は買ってでもせよ!」なんて言って貰える若者はあまりいないのでしょう。それこそ、実践してこなかった人には本当の意味がわかるはずもない言葉なのですから…