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他人(自分)の定義
2018年03月18日

他人(自分)の定義

突然ですが、あなたにとって他人でないのは誰ですか?

答えはそれこそ人によってまちまちです。「自分以外は全員他人」と言う人から「学校でも職場でもご近所でも皆知っているのだから他人とは呼べない」。もっと言えば「人類は皆兄弟なんだから他人なんて一人もいない」と考える人もいます。極端な愛犬家で「犬を捨てたり殺したりするから、犬以外は人間も全て他人だ!」なんて方もいるのかもしれません。

唯物主義社会の一般的感覚で最も多いのは「血族」なのでしょう。鶏と卵で「親子丼」なのに対して、鶏以外を使うと「他人丼」と呼ぶくらいですからね。

いずれにしても漠然とした質問と答えになりがちです。

では、質問を逆にしましょう。「あなたにとって自分とは何ですか?」

ここが現地球文明において全てのネックとなっているテーマです。

何百回でも言いますが、人は非物質生命体です。肉体という物質も一部まとっていますが、基本的には非物質ですから時間や空間の制限がありません。ですから何億人であろうとも過去も未来も「今の自分」だと認識できるだけの意識の拡張も可能です。(厳密には大きさではなくて異次元との行き来です)ただ、そうすると両刃の剣となってしまい生きて行くことが難しくなりますから、基本概念としてだけは知っておいてください。

何が難しいのかと言うと、繊細すぎては今の地球の粗雑な波動に順応できなくなり、精神も肉体も壊れてしまうのです。

例えば世界中のゴミ問題、家のキッチンに知らない人が次々と訪れてゴミを捨てて脱糞して帰って行き、どんなに片付けてもウンコやゴミの山が常にキッチンの天井に届いていたらどんな気持ちになるでしょう。今の瞬間、地球の裏側で銃弾を撃ち込まれている誰かの痛みをあなたが全部感じ取ったとしたらどうでしょう。…しかしそれがこの物質次元の現状です。

ある程度は「他人のことなんて知ったこっちゃない」だから平然と暮らしていられるのです。でも実の子供が瀕死の重傷だと聞いたのなら、どこで何をしていても駆けつけようとするでしょう。老いた親にでもそうする人がいるのですから、動物の本能としても当然のことです。

自分の定義が家族だけに留まらないからこその知的生命体である、とセイジョウ石井は思うのです。エサ(カネ)をくれる相手にだけよい顔をするのでは動物と変わりません。

自己の意識をほどよく拡張できるワークショップ次回開催は4/25・4/26で決定です。

上述のように他人の苦しみが自分の苦しみとなってしまう弊害も少しありますが、基本的には他人の喜びを自分の喜びとして享受できることは間違いなく豊かなことですからね!

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