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他人の目
2018年05月04日

他人の目

自分が笑いのネタとなったりするのが不快だという人が一定数います。わかりやすく言うと「凄い・カッコイイ」などと語られるのなら気分がよいけれど「くだらない・バカだ」などと扱われると心外だということです。

 

悲しい事実ですが、多くの人は「自分よりレベルが下だ」と感じる相手には警戒心が解けて心を開きますが「自分よりも先を行っている」と感じたら警戒することはあっても心を閉ざして親しくは感じないものです。

 

ですから人心掌握術としては「アイツはアホ」とか「大したことない」とか「しょうもないヤツ」と思わせることができるかどうかで好感を抱いてもらうところがあります。

 

前提がアホなら些細なことでも「意外と凄い」となりやすいですし、何かと人生のハードルが下がるというわけです。関西を中心に自分が面白い人だと思われたい願望というものは、敵対心を抱かれないようにするための人間の防衛本能なのか?などと私は若い頃まじめに考えていました。

 

静岡県出身の自分には、常に笑いを取ろうとがんばっている関西人などには理解に苦しむ部分が多く「その熱意はいったいどこから湧いて来るのか」とよく不思議に感じたものです。

 

ただ確実に言えることは、笑いを取ることに喜びを感じる人は円滑な人間関係の構築に興味があるということでしょう。自分を受け入れてほしいという願望があるということです。

 

そこが私には欠落していた部分でした。自分が人間であることを常に不快に感じていたし、狭い世界に閉じこもって人間関係をできるだけ広げたくなかったのです。生きる喜びが見事にない閉鎖的な期間を長らく過ごしていたのです。

 

今は何も期待せず何も幻滅せず…そんな感じです。人間存在だけは長年探究してきましたから、それらを活かした何らかを寿命の続く限り続けて行くのでしょう。自分がどう思われようともほぼ気になりません。

 

他人の目が気にならなくなる…どうやらこれは大きな武器になるようです。