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ひきこもりメジャー化とは
2017年08月04日

ひきこもりメジャー化とは

物理的な危害は別として、傷つきやすい自分が一方的な被害者であるかのように振舞うことも、気にしないで生きることも、その人の自由選択だという意味のことを前回書きました。その感傷度合いも訓練で可変するというようなことも書きました。

そこで皆さんに最も勘違いしてほしくない重要なことが「だったら鈍感になればよい」ということではないということです。事実、ほとんどの人が「鈍感になる」ことで社会適応しているように見受けられるからです。

素直さや純真さを失って感性が鈍くなれば、確かに些細なことでは感動や喜びを感じられなくなる分、傷ついたり落ち込んだりもしなくなるわけです。ですから皆さんは、深く考えるまでもなく徐々に感覚を麻痺させて生きて行くようになるのが現代社会人の多数派でしょう。ところがそのやり方で社会順応して生きて行くと、かつての自分なら「そんな非道な…」「そんな残忍な…」と感じたことでも平気でやってのける人となって、更なる歪みを内側に溜めたりするわけです。

人間とは、自分以外の何かに反映させることでしか自分を認識できません。たまたま自分に向けられた言葉や行為は、それを発した人自身にとって重要な意味を持つものなのです。そのようなことが理解できるようになると、これまでとはまた別の捉え方をするようになりますし、別の感情が湧くようになるのです。これらのことは容易に理解できるものではないのかもしれませんが、じっくり時間をかければ誰にでもわかるようになる真実です。 

いずれにせよ「合法なのか・非合法なのか・いかに合法に見せるのか」を基準として、金儲けだけを目的に生きる人たちが闊歩し、それにつき合わされている大多数の民によって成り立っている現代社会。「外れたら生きて行けない」と信じ込まされる中、そこから外れて生きている人はまだ一部。これからどんどん増えるであろう、レールから外れる人々それぞれが多方面で活躍し、それらの人々が主要となって構成する世の中ならば、本来の人間らしい世界となるでしょう。

そのことを私は象徴的に「ひきこもりメジャー化計画」と謳っているのです。