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ハッキリと分かれているわけではない
2017年04月06日

ハッキリと分かれているわけではない

新生活が始まった人にも昨年と何も変わらないと思っている人にも季節は廻って、桜が咲く新年度に入りましたね。
 時空制約のある物質世界で暮らしていながらも「時間」とは、あってないようなもの。時は絶対的なものだとして時計や暦を用いて生活している我々ですが、一年前がつい先日のことのようだったり遠い過去のようだったり感じるのです。
 「空間」についての話をするのならば、ものすごく遠い世界だと思っていたはずが、気付けば日常的に苦もなく移動している範囲になっていたり、いつもは何気なく通っている場所がある日、途轍もなく遠い感じがするわけです。

絶対不変だとされている事がいかようにも感じられる、これはいったいどういう事なのでしょう?

それは「時間や空間とは絶対的なものではない」からです。「物質がすべてである」としている家庭や学校と呼ばれるところで「絶対的なものである」とすり込まれただけなのです。実際に、すり込まれる前のみなさんならば過去を悔やんだり未来を心配することはなかったはずです。本来の人間は他の生物と同様に常に今を生きていたのです。失敗も成功も、幸も不幸も、始まりも終わりもない、ただ変化する…それこそが絶対的な命なのです。 

逆に考えてみましょう。悔やんでいる過去や憂いている未来がありますか? 言い方を替えるならば「ああしとけばよかった」とか「できることならこうしたい」といった事柄です。それらは「今どうこうすることはできないから」というのが、みなさんにすり込まれた常識です。
 ところが、そんな過去もかつては「今」でしたし、そうありたい未来も必ず「今」となるのです。時間は絶対的な一方通行なのではなくて自由度の高いものだとしたら、過去も未来も全部「今」だということです。巷にある願望実現系セオリーの多くはこの性質の一部分を誇大に表現したものですが、時間と空間はセットになっているため、一部の特性だけを活かそうとしてもバランスが崩れてしまい、他の部分での弊害が起きやすいのです。

そこで私は「物質」に対して「非物質」という区分けをしているのです。しかしそれは便宜上であって、人間は物質の肉体であるかのような錯覚に陥りながらも誰もが非物質の意識をもつ、いわば「半物質」の存在です。可変幅が人によって大きく異なるのです。肉体を有しながら完全な非物質としての特性を活かす人が現在でも一部いて(それが標準の文明もある)昨今はそんな人たちが少数派なため「異常者・特殊能力者・霊能者」などと呼ばれてしまうのです。本来はそれが普通なのですが…(笑)

私は元々書物などの情報にあたるだけでなく、自分の変性意識状態(瞑想・夢)を活用して非物質世界の探求をしていたところ、たまたま臨死体験のように濃厚な異次元体験もが加わったのです。故に実体験として、人や宇宙の本質が非物質であることを確信を持ってお伝えしているのですが、やはり日常生活における「物質と非物質のブレンド具合」とでも言いましょうか…その境界が不明瞭なだけでなく、そもそも人によってまちまちなため、画一的にお伝えする事にはどうしても限界があるのです。ですから私は個別にお伝えすることを重要視しているのですが、不特定多数のみなさんにお話をする場合でも、極力、個別の解釈が可能な融通の利く言葉を選んで語るようにしています。