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「スピリチュアル」の誤解
2017年04月13日

「スピリチュアル」の誤解

もうすぐ4月も後半。ここ数週間は何が何だかわからないほど慌ただしかったという人でも、生活のリズムのようなものが見えてくる頃でしょう。新たな肩書きなり金銭報酬なりを得るため新生活をスタートした人の中には「こんなはずじゃなかった…本当にこれでよかったのだろうか?」といった想いが湧いてくることもある時期です。「名誉や金銭だけを求めて頑張っていても人生ダメなのではないか?」というような疑問が持ち上がって、俗に「スピリチュアル」と呼ばれているジャンルに興味を示すようになるのかもしれません。

実は私、だいぶ以前から「スピリチュアル」という言葉を使うことに大きな抵抗を感じている一人なのです。便宜上わざと使うこともありますが、できるだけ「非物質」とか「霊魂」などの言葉を選ぶようにしています。
 その最大の理由は、「スピリチュアル=現実的ではない」というようなニュアンスを込めて使われる場合も多い単語だからです。実際に、「スピリチュアル」という言葉を多様している人の話や文章に賛同して集まっている人々の様子を見ていると、物質的な現実生活から逃避している可能性も残念ながら否定できないのですよね。
 それ故に私は長年、霊的な事柄に最大の関心を寄せていながらも、誰にとっても現実的だと思える形でサポートできるような社会との接点の持ち方を模索してきました…「経営コンサルタント」ですとか(笑)…真剣にやってきました。しかしもう、そんな遠回しなことをしなくてもよいから直接的にメッセージを発信しよう!と決心しまして、近年はこんなスタイルなのです。

私が再三お伝えしている通り、人の本質は非物質です。すなわち「万人がスピリチュアルな存在」なのであり、それが確固たる現実。全く例外はありません。仮にこれを読んで懐疑的な人であっても、肉体死を迎える時にはそれを知ることとなります。その時が来月なのか来年なのか数十年先なのか…時期に個人差があるだけでいずれにしてもそんなに遠い未来の話ではありませんし、肉体で感じているその「時間」でさえもスピリットには無関係なようである… これも以前からお伝えしていること。

本来の「スピリチュアル」とは、逃避でもまやかしでもなく、とても現実的で日常的な意味合いの言葉なのです。しかし、それと同時に物質である「肉体」を維持するためにも生活しているのが「人間」なのです。どちらともガチな現実!(笑)

逆の見方をしましょう。有名無名にかかわらず、大きな仕事を遂行できる人は皆「スピリチュアル」な法則を熟知していて、その特性を巧く活かしているということです。そんな事をおくびにも出さない人がほとんどですし、本当にその自覚がない人も大勢います。つまり、どこの誰から何を教わるでもなく「スピリチュアルな生き方」を実践し続けている人が、今でこそ少数派ですが常にいるということです。

数百年前でしたら地球上のほとんどがそういう人であったと私は感じています。

ですから私は皆さんに何も特別な事をお伝えしているつもりは毛頭ございません。
当たり前な事を当たり前に感じて生きてみませんか?とオススメしているだけです。